背にワニスを塗った本の経年劣化は
超ヤバいよ
セミの抜け殻潰したみたいな粉が読むたびに散るし、第一、背に何が書かれているか書名すら読めない
此れ、発光生物の孤高の學者神田左京の珍しい恋愛論なんだよねえ
当時のヤングコミックは月刊漫画ガロを凌駕する特異なマンガ誌だったことは確かで
青年向けのマンガ誌としては出来過ぎた存在だったと思う
様々なメディアへの商業的目配りや
腐れネットの風評への忖度だらけの閉塞感満載のマンガ情況に
小さくない風穴が開けられると考え、
希求するマンガファンは自分だけぢゃないんぢゃね?
切なる願いが
創立75年超えの少年画報社に届かないかなあ
ビッグコミックは実行しているらしいし
マンガの短篇集として読みたいのは
「週刊ヤングコミック1971-1972」で、当時のアオリとか挿入される広告とかそのままで纏めて読んでみたい
一冊3編の短篇が月2回刊年間24冊としても2年で
140編以上のお宝が埋蔵されていることになる
「女友達」(末永史 ヤングコミック1972年2月9日号)
同誌で独特な作品を発表していた安部慎一テイストの作品で絵柄も光の無い漆黒の眼、尖った描線は少女マンガの面影は無く、あるとしたら饒舌に過ぎるコマ割りくらいで別の筆名で女流であったら謎の作家だったと思われる
「チャンスは今だ」(末永あや子 りぼんコミック 1970年6月号)
以前の作品よりも所謂ザ・少女マンガのカワイイ系の絵柄を獲得したクラスルームラブコメで読者の同調支持の確率が高そうな作品
マンガ雑誌の片付けをしていて
「りぼんコミック」と「ヤングコミック」を見ると、大好きだったあのマンガ家さんを
しみじみと思い出す
1970年6月と1972年2月
たった2年でこれほど変われる作家って居たのかな?覚えが無いなぁ
ちなみに「りぼんコミック」の表紙イラストも「末永あや子」=「末永史」
◼️ 博覧會と各遊廓
「第五回内國勧業博覧会報告書」(明治37年(1904年)5月 大阪市役所商工課刊)
有り体に何事も書かれていて面白い
此れを立項していたのはびっくり
かなりの対前年業績増で
"經濟界困憊の跡を承け百般の營業不振の間に於て獨り遊廓が此現象を呈せしは全く博覽會開催の結果に外ならず"