「月刊漫画ガロ」(昭和41年(1966年)2月号 青林堂刊 B5判)
そして、そして
「沼」(つげ義春 1965年10月21日脱稿)が掲載。
途中、過去の自作掲載誌の探索願いを告知している 
   「月刊漫画ガロ」(昭和41年(1966年)3月号 青林堂刊 B5判)
「チーコ」(つげ義春)が掲載され
表3では「サスケ」のフォノシート(コダマプレス)の宣伝や「ガロ」関係参考文献案内などが掲載 
   「月刊漫画ガロ」(昭和41年(1966年)4月号 青林堂刊 B5判)
再び表紙画は白土三平に戻り、この号にはつげ義春の特異な絵柄の短編「初茸がり」が掲載 
   「月刊漫画ガロ」(昭和41年(1966年)4月号 青林堂刊 B5判)
水木しげるは「なまはげ」(1966年1月25日脱稿)を掲載 
   「無形文化財 朝倉の梯子獅子」(1970年9月 愛知県知多市民俗資料研究会刊 B5判36頁)
口絵には梯子獅子の舞の所作が示されているように、基本的に神楽の囃子音楽に合わせて一つの物語を2名で獅子を演じ踊るもので
舞台から梯子に登り高所の櫓の上で舞い、降りてきて舞台で踊りハケる演舞奉納 
   「山村暮鳥生誕百年記念写真集 雲と愛の詩人」(昭和59年1月 群馬町文化協議会刊 B5判109頁)
当文庫には金子光晴、山之口獏、吉田一穂、高橋新吉の刊本は概ね揃えているが山村暮鳥は「日本現代詩大系 第六巻 近代詩(3)」(昭和26年 河出書房)で読んだきりだった 
   「のらくろ漫画全集 全一巻」(田河水泡 昭和42年(1967年)4月 講談社刊 A5判箱入上製809頁)
この刊行当時、COMやガロを読み手塚治虫や白土三平の漫画を集め読むマンガ漬けの日々だったが「のらくろ」は時代的に「あなくろ」呼ばわりをしていたし昭和初年生の父ものらくろより凸凹黒兵衛の方が好きだった 
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    「ロッティ=エバンスもうじき八つ」(里見潤 別冊少女フレンド 1971年10月号 B5判23頁)
萩尾望都をリスペクトしたと思しき短篇作品。
時期的に週刊少女コミック1971年1月17日・24日号に掲載の「ベルとマイクのお話」の絵柄をモチーフに別のストーリーを作成 
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    「ロッティ=エバンスもうじき八つ」(里見潤 別冊少女フレンド 1971年10月号 B5判23頁)
当時の萩尾望都の短篇作品の画力、ストーリー構成のクオリティの高さは他の描き手や他誌編集に影響を与え、技巧的に絵柄は、ある程度真似できたとしても「ある程度」でしかなく、絶妙な調和と構成バランスは無理