協同出版社編の「書籍年鑑 昭和十七年版」によれば、年間7冊の配本実績が記載されているが、他社の児童向けの國民學校聖戰讀本とか戦意高揚に向けまっしぐらの時代に入ってくる 
   第1回
別冊少年サンデー 1968年(昭和43)7月号
以前も書いたが
キャッチどおりの、まるで赤目プロ作品のような"劇画"だった 
   第3回
別冊少年サンデー1968年(昭和43)9月号
この在り方が手塚治虫と同時に白土三平のマンガを好んで読んでいた中学生の自分を惹きつけたのだと思う
北海道への取材旅行の記事も載った 
   第4回
別冊少年サンデー1968年(昭和43)10月号
当時の少年誌の社会通念でも危うい
残酷描写、性暴力描写も 
   第6回
別冊少年サンデー1968年(昭和43)12月号
アイヌの登場も頻繁になり、2人の兄妹が物語を展開していく 
   第9回
別冊少年サンデー1969年(昭和44)3月号
米国の反戦、反人種差別の運動と同期した社会派フォークの影響下でポリティカルで具体性をもったトピカルソングや社会派ソングが関西フォークとして育ち始め、
大阪の反博フォークゲリラの遠征により始まった新宿西口フォークゲリラの替え歌フォークや 
   第9回
別冊少年サンデー1969年(昭和44)3月号
様々な活動が日常的に行われていた時代で、作品にもそうした傾向が自然と現れてきたのではないかと思われる