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手塚FC京都の機関誌「ヒョウタンツギタイムス」の創刊号(昭和52年)で
「新世界ルルー」(少年少女 漫画と読物 昭和26年(1951年)1月号-27年(1952年)2月号)の昭和26年4月号掲載分を復刻した
「ピースバードストーリー」(矢代まさこ 昭和55年6月 奇想天外社刊B6判189頁)
睦月とみ名義で1975年1978年に描いた作品を纏めた自選短篇集
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◼️ 博問研クロニクル
「博物館学芸員・G」(日本女子大学漫画研究部 大月ちずる)
1985年に学芸員の実務研修をした女子によるマンガ作品で
「コミックモーニング」(1986年1月9日号 講談社)に掲載されたという
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「灰色熊の伝記 シートン動物記より 下」(白土三平 昭和39年2月 青林堂刊 AB判152頁)
・扉、冒頭、奥付
訳者内山賢次の表記無し
「蝙蝠日記」(直良信夫 昭和18年12月刊 甲鳥書林B6判) 奥付
戦時中の本で用紙が悲惨なもので縁から粉体になっていく、、
手をこまねいていてもしょうがないので何とかしなきゃだが
477頁もあるのでデジタル化も大変そう、、
ちなみに、五色園は公式資料と文献に依れば
・創設
1934年(昭和9)7月6日
・起工?(「日進村誌」(1956))
1934年(昭和9)11月
・正式開設
1935年(昭和10)4月27日付で愛知県知事の認可が降りている。
※名古屋新聞(1939年(昭和14)10月29日)の五色園紹介記事では
1935年(昭和10)4月着工とされている… https://t.co/gFiIuNNrsk
松下井知夫自身が枯れたタッチで読み切り作品をものするようになったのは1965年以降で、
「猛妻ここに爆破す」(週刊漫画Times1965年4月)
「トンビ野郎とタカ娘」(別冊アサヒ芸能1968年12月)あたりが類例かも