「己が世界の一部である事をやめ、世界を憂う行為」と取るとベルトシュメルツが「インターネットやめろ」と近似なんだけど、
「私が批判している(側だ)から、私はそれから免れている」式メソッドで「インターネットをやめろ」と叫ぶ例もまた後を絶たない 
   第五要素(クィンタ・エッセンティア。四元素に対する本質であるとか空であるとか特殊な位地)がアカーシャ球体、とするとこのタロットの意が明らかになるのだけど、「わからない」「たましいですらないかもしれない」と態々言われているので、安易に当て嵌めるべきではなかったな…。