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【75年前の6月1日】「浜で学童たちが整列して朝礼をやっている。南の方─宮城を拝し、それからいっせいに何やら合唱した。きいてみると『つぎの世をせおうべき身ぞたくましく 正しくのびよ里にうつりて』という皇后陛下のお歌だそうだ」疎開については、最新30号の不戦日記コラムをぜひご覧下さい。
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【75年前の5月31日】「宿は十時に全部消燈。十一時ごろ真っ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で、酒を飲んで騒いでいる声がする。酔っぱらってくだをまいている女の声も聞える。声からして、東京を焼け出されて来た一団らしいが、子供達が疎開している場所であることをわきまえないか」その通りです…。
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【75年前の5月29日】「午後、勇太郎さんと湯野浜温泉に出かける。電車に乗り遅れたので、砂山を越えて歩いてゆく。砂山の頂上では、暑くてサルマタ一つになってしばらく涼んだ。どの旅館にも『東京都小松川国民学校第一学寮』『第二学寮』などという看板がかかり、疎開の子供たちがウヨウヨしていた」
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【75年前の今日】5月31日の日記「(湯野浜の)宿は十時に全部消燈。十一時頃まっ暗な風呂場に入る。どこかの部屋で酒をのんで騒いでいる声がする。酔っぱらってくだをまいている女の声も聞える。東京を焼け出されて来た一団らしいが、子供達が疎開している場所であることをわきまえないか」#不戦日記