大正7年10月10日付『新愛知』市内附録、名古屋の大須にカバがやって来た。記事に興行師の記載はない。ソウルの動物園、大阪のルナパークで飼育された後、巡回興行に就いたようだ。「生きて居る!!」との惹句の裏に、当時は恐らく剥製で珍しい舶来動物を見せることも少なくなかったのだろうと推測する。
大正14年1月31日付『都新聞』関東大震災を契機として吉原遊廓では写真見世が禁止されていたのか。遊廓側からの働きかけで2月1日から条件付きで写真掲出が再び認められたことを報じる。警察は何を懸念していたのか。なぜこの条件なら大丈夫なのか。いろいろと気になる。
甲府の穴切遊廓での張見世廃止、写真見世の導入について伝える。大正14年2月9日付『都新聞』、反対派からの妨害だったのか、写真をインクで汚す輩が現れたため楼主たちが交替で見張りを務めたという。
大正14年4月5日付『都新聞』「お待兼の冷しコーヒー器が出来ました」との広告があった。いつ頃からどのようなスタイルでアイスコーヒーを飲む文化が日本に出来たのか、こういうところから気になってくる。
気になる展覧会:弥生美術館「伊藤彦造展―美剣士の血とエロティシズム」2025年9月20日(土)~12月21日(日)https://t.co/BdCkwRlMuh
大正14年8月19日付『都新聞』「広島の女王」北田てる子こと大西卯三郎※のその後を伝える。金銭トラブルで執行猶予判決を受けたのち、新派の一座に請われ女形として舞台生活に入ったとする。
※『変態性格者雑考』は記事と細部が諸々異なり本名は大北小一郎とする。仮名表記か。出身地名も伏せてある。 https://t.co/qYq42grvkQ