大正13年7月10日付『都新聞』、関東大震災で損傷し撤去された浅草十二階こと凌雲閣の跡に出来た凌雲座で、異種格闘技戦の興行があったようだ。
そんなことを思い出した記者も可笑しい。大正13年7月2日付『都新聞』、いわゆる悪食の実演だろう、下関に瀬戸物やガラスをパリパリ食う芸人が現れたという話に、20数年前、千葉の市川に石油を飯にかけて食う男がいたと重ねている。本件の深追いはしない(笑)
大正13年7月30日付『静岡民友新聞』メートル法が社会に根付く前は確かに、富士山の高さをメートルで言えるのは常識ではなかったということ。「富士山の頂上には一年中(12(ヶ月))雪が白く(469)」12,469尺[小数点以下を切り上げ]という記憶法は一般的だったのかしらん。むろん当時は日本一の山でもない。
大正13年7月29日付『都新聞』、連載記事「禽獣商売往来」が始まる。第一回はリスやサルが売れているとの話を枕とし、後段は大型獣の話へ。震災の影響で横浜が海外からの動物輸入港としての機能を停止し、取り扱いは神戸が一手に独占する。「神戸の有竹」は有竹鳥獣店(https://t.co/BpEgNkcF7m)だろう。
大正13年7月30日付『都新聞』「禽獣商売往来」第二回、例えば日本の動物園が象を買いたいとなれば、神戸の有竹を介して手配するといった入手ルートが確立していた。ライオンやトラ、殊に大蛇は帆船の船員らが一攫千金を賭けて現地で買い入れて積み込み、日本で動物商に売り込むことも多かったらしい。
大正13年7月31日付『都新聞』「禽獣商売往来」第三回、動物の飼養料を稼ぐため動物商が窮余の策として片手間に始めたのが巡回動物園だとする(神戸の有竹も確かに巡回興行を実施していた模様である)。巡回興行に欠かせない目玉となる動物としてライオン、トラ、シマウマが挙がっているのも興味深い。
大正13年9月25日付『都新聞』「諸国の噂」欄、こちらには「嗜眠病」避けとして番茶風呂に入る、「唐黍、玉葱、紫蘇を煎じて飲み、そのあとで団子を三つ喰ふ」という長崎県で見られた事例を紹介する。 https://t.co/XrJKSAR4XM