長岡外史のデスマスク(画像は『読売新聞』1933年5月6日付夕刊2面)。記事本文左端の「家人は大喜びるであ」は無論誤植るであ。
1999年10月4日付の朝日新聞(大阪本社版)に掲載されたコラム(朝刊16面)。槇原敬之はこの年に覚醒剤所持で逮捕。それに伴い槇原のCDが店頭から回収されたことを受けて書かれた文章だけど、同様の不祥事をやらかした尾崎豊や長渕剛らの時はCDなどは回収されなかったそうだ。
ニード洗粉の広告(画像は『大阪朝日新聞』1934年1月1日付朝刊3面)。乳首の露出はOKだったのか……。
ヘチマコロンの広告(画像は『東京朝日新聞』1933年8月23日付朝刊5面)。こちらは、より露骨に乳首を出している。
「さても皮肉!人智の未熟さ! 文明の舗装道路は焦熱地獄を倍加 之にコンクリート建築が応援し都は宛ら坩堝の中!」(『読売新聞』1935年8月5日付朝刊9面)。宛ら=さながら。坩堝=るつぼ。ヒートアイランド現象は戦前から発生していたのであろう。
「駐在所へ爆弾! 警官殺害を企つ」(『大阪毎日新聞』1932年10月31日付朝刊11面)。駐在所に爆弾を投げ込んだ輩は、理髪業の男とのこと。○○会のヤクザ顔負けである。
森永製菓の広告(画像は『東京朝日新聞』1933年8月10日付夕刊2面)。関東防空大演習の記念セールと銘打って、同社のキャラメル購入者に組み立て式の「紙型防毒マスク」をプレゼントするとのこと。
「戦史に燦!海空軍の活躍」(『東京日日新聞』1938年5月17日付朝刊3面)。
日中戦争における日本海軍の航空部隊の活躍を伝える記事。「空軍」という言葉が使われている点も興味深い。
「きょう!正しき一票をこの函へ」(『大阪朝日新聞』1928年2月20日付朝刊5面)。当時の投票箱はかくの如し。
#殺伐としたTLに突然意味わからない画像を叩きつける
※画像は『東京朝日新聞』1933年8月10日付夕刊2面