20時過ぎで誰もいない新宿2丁目の仲通り商店会。殆ど飲食店が閉店する中、創業22年の蕎麦屋は今まで通り深夜営業を続けられるとの事。天盛りと割子そば五段を頂く。紅葉おろしの辛味が出雲そばによく合う。店主曰く「創業以来、今が1番ピンチです」
2丁目の灯が消えないよう蕎麦屋が孤軍奮闘している。
やる気の無い無愛想な店主が新聞読みながら客待ちして客が来たらいらっしゃいも言わずに睨みつけてビール注文しても返事もしないで無言で出してラーメン半炒飯餃子を頼んだらアッと言う間に作って食べたら頗る旨くてごちそうさまと言っても返事がなくて最後まで無愛想ってのが俺にとってのラーメン屋。
東尾久2丁目、創業46年のラーメン屋。
後期高齢者には全く見えない元気な女店主が1人で営業。
カレーラーメンと餃子を頂く。大きな中華鍋でその都度作るカレー入りスープは絶品。
店主曰く「お店を続けていくのは大変よ、でもこんなお婆ちゃん何処も雇ってくれないでしょ。私1人食べる分はなんとかね」
町中華、町蕎麦、町酒場で今度は「町の鮨」だってさ。
今は「町」って付けると若い人に受けるのかよ?
それじゃあ当店も「町かどや」に改名しようか、と思ったら既に東海近畿地方に「街かど屋」って定食屋があったよ。
押上駅から徒歩10分、桜橋通り、創業56年のラーメン屋。数年前に「中華と洋食」の看板を下ろされオムライス等は品書きから無くなった。女将に先立たれた老齢の店主を娘さんが支えて営業されている。以前は近隣に出前もされ、料亭街の盛衰をずっと見守り続けた向島の生き字引のようなラーメン屋である。
隅田川と荒川に挟まれた陸の孤島、宮城一丁目の老舗蕎麦屋。創業昭和27年、なんと朝6時から夜8時までの通し営業!
ざるそばとカレーライスを頂く。90歳近い歯の抜けた女将曰く「この辺は工場が多いから朝飯を食べにくる工員が多いのよ。年寄りが多いから蕎麦は柔らかいよ」
女将の笑顔に元気を貰った。
「酒は剣菱、男山」と唄われ、あの赤穂浪士も討ち入り時に呑んだ剣菱の社長にご来店頂いた。
阪神大震災の時は剣菱8蔵の内7蔵が倒壊、家中の金を集めて200人の社員に分け与えた、伝統を守る酒造りを続ける、家訓で営業はしない、但し剣菱を大切に扱う飲食店には協賛看板は出す…
貴重なお話を伺えた。
艱難汝を玉にす
(かんなんなんじをたまにす)
我に七難八苦を与えたまえ
(山中鹿之助)
憂きことのなおこの上に積もれかし限りある身の力試さん
(熊沢蕃山)
のび太くんのパパはチビッ子達に名言や格言をいっぱい教えてくれたんだな。
大人になった今頃になって、のび太くんのパパの言葉が心に響くよ。
久しぶりの変体仮名(へんたいがな)
御多越る(オタヲル)
御は漢字の御のくずし字。
多(た)が変体仮名。
越(を)も変体仮名。
平成が終わろとしていますが
皆様、変体仮名を忘れないで下さい。