この作品「フジオ」名義ですが恐らく藤本先生の作品でしょう。
掲載は1953年11月16日付の富山新聞で、安孫子先生退職の前月です。安孫子先生が富山新聞勤務時代に藤本先生の漫画が載った唯一の作品で、掲載の経緯は不明ですが、藤本先生から安孫子先生への「漫画家になろう」コールだったのかなぁ🥰。
「空で遊んじゃあぶないよ」が発表された1978年の頃は、学年誌で特集されるほどハングライダーが大流行していました。
前年には、現在も続いている琵琶湖での「鳥人間コンテスト」が始まっており、日本人が「空を自由に飛びたいな」と、空に憧れていた頃だったようですね。
「ぼくはのび太でした」はあまりに有名ですが、のび太をはじめ、おっちょこちょいキャラはみんな藤本先生のDNAを引き継いでいるんだなぁ。
それにしても藤本先生落っこちすぎでしょ😅
「こんな“のび太”でも、藤子・F・不二雄ぐらいにはなれる」って、イヤイヤ、無理ですって😵
#初出誌コピー電子化中
「のび太が消えちゃう?」は初出時から3ページ分描き足されてます。
単行本収録が初出から10年後になってしまい、描き足し時の絵柄がかなり異なっていますので、お分かりだと思いますが、ラストのパパとママとの出会いは新しく描き足されたもので、初出時にママとの出会いはありませんでした。
★本日の出来事 ①
夏休み最後の日、宿題がたまっている現実から逃げるために、のび太がうつつまくらで宿題がすっかりできているという夢の世界に現実逃避した日です。
(これも夢でしたが・・・)
『ドラえもん』「うつつまくら」より
★本日の出来事
夏休みの宿題の「郷土の歴史」を調べるために、キテレツが航時機で昔に出かけた日です。
『キテレツ大百科』「片道タイムマシン」より
1954年の本日10月30日は、藤本先生と安孫子先生がトキワ荘に入居された日です。
手塚先生が敷金を残してくださったおかけで、入居できた憧れのトキワ荘。藤子両先生の新たなまんが道がここから始まりました。
描き替えがあったのは下のコマ。左が初出時で右が単行本。
単行本収録時にさらにイライラが相当増したようです😅
★本日の出来事
2115年、ドラえもんがセワシの友達として野比家にやってきた日です。
『ドラえもん』「ドラえもん おもいでのアルバム」「ドラえもんのおいたち」より