手塚治虫記念館の松本かつぢ展、意外な見どころは戦前のマンガです。手塚治虫の業績を知っている人こそ、戦前に松本かつぢがモダンな少女マンガを描いていたことに注目!『なぞ(?)のクローバー』や『ピチ子とチャー公』の新しさに刮目せよ!
正月4日に菊陽町図書館に行ってみようと思ったが行けなくなったので、コミケ帰りに村崎修三さんの『昭和懐古 想い出の少女雑誌物語』を買ってきた。最終章が『少女雑誌永遠の終焉』とショッキングだ。昭和三十年の『少女の友』の休刊がそれである。少女雑誌と少女マンガは時代がかぶりもしないのだ。
矢代まさこ『ようこシリーズ』より「ころころコロッケ」。スラップスティックギャグコメディの傑作だと思います
矢代まさこの女性作家の中でも卓越していたギャグ・コメディのセンスと、シリアスものの萩尾望都に影響を与えた画面処理の例。
上田トシコ先生、上田俊子名義の昭和12年の作品から抜粋(『少女画報』)。
師匠というか当時の男性作家ではたぶん描かない領域にまで踏み込んでいて、たいへん魅力的に見える。
戦前の上田トシコ先生の漫画を発掘。目次に連載したもので、これは『小学四年生』昭和十三年一月号掲載。飛行機が飛んだりするのがかつぢの「ピチ子とチャー公 世界漫遊」から続く感じで結構絵が上手い。ちゃんと弟子らしく活躍していました。
戦前にも少女マンガの原型となる作品があったが、その中で一番有名なのは間違いなく松本かつぢの「くるくるクルミちゃん」だろう。しかしこの作品は松本かつぢのマンガ歴からすると後期の作品に入るといってもよい。昭和13年から2年連載されて一度終了、戦後に復活する。
#少女マンガはどこからきたの
松本かつぢのマンガ家歴は昭和4年にはじまり、翌年にポクちゃんというキャラクターを生み出しました。上田トシコ先生が1番好きなかつぢのキャラクターとのことです。かつぢはデビュー当初から海外のアニメーションもよく知っていた節があります。モダニズムですね。
#少女マンガはどこからきたの
えんどコイチの「アノアノとんがらし」は少年チャンピオンに連載開始してから10週間のうち9回カラーを飾ったという編集部の猛プッシュぶりが印象に残る。デビュー作「遠足の日」は「死神くん」のプロトタイプとなる名作で、泣ける作品も得意としている。