'65 8月、シェイスタジアムでのちに伝説となるライブをおこなう。ライブハウス並みの貧弱なPAで56000人を相手にするという無謀なイベント。でもジョンはメチャクチャハイになって大暴れ。さすがである。
'66 6月末、日本公演。のんきなビートルズに比べて日本側はパニックに近い大騒動。1万の観衆に対し3000人の警備員という慌てぶりである。
ポールはマイクスタンドのセッティング不備でイライラ。
いかりや氏の自伝によると、ステージを下りてビートルズとすれ違った時、彼のベースとビートルズメンバーのだれかのギターとが思い切りぶつかり合ったらしい。しかし誰だったのかは不明。
イメルダ大統領夫人主催の昼食会をシカトしてたいへんな騒ぎに。事前連絡の不備なのだが、どっちにしてもこの手の催しにはビートルズは参加しないつもりだったから同じ事である。
→つづく
→つづき
みんなに責められたブライアンは、飛行機の中でジンマシンを発症。高熱のままヒースロー空港から救急車で病院へ。冗談でなく全員命からがらの脱出劇だったらしい。
今回は12コマ。'66、ジョンのキリスト発言で上を下への大騒ぎ。
言ってる事はわりと普通でイギリスではさして話題にもならなかったのだが、
4か月後アメリカで意図的に曲解された報道がなされた。→つづく
アメリカはビートルズの事ならなんでも針小棒大、大げさに報道するからもう全米が反ビートルズで大騒ぎ。特にキリスト教教条主義者の多い南部では、KKKなんかを巻き込んでビートルズボイコットのお祭り騒ぎであった。→つづく
全米ツアーが控えていたため、ジョンは泣く泣く謝罪会見。さすがのジョンも舞台裏でめそめそしていたとトニー・バーロウの伝記にある。「でもレコード燃やしたらまた買ってもらえる」というジョージの発言は見事。
ご存知マーサはポールの愛犬でもあり、私のペンネームでもあります。ちなみに「バンドオンザラン」収録の「ジェット」は、マーサの子供という説と、当時飼っていたポニーとの二説あり、真相は不明。
ポール死亡説の根拠は、説得力のあるものから超バカバカしいものまでそれこそ1冊の本にできるほどあり、実際に本になっているはず。あれから半世紀近くたってもまだ言ってる人がいるし、今後ポールが亡くなってもずっと続くであろう。
学生結婚に失敗していた城島珍…じゃなくてジョージ・マーチンの再婚相手は、なんと自分のアシスタントのジュディさん。部下に手を出す上司w しかも生まれた娘の名前が「ルーシー」。やるなオッサン。