彼女たちは時々家の中まで入っていたそうですが、初期の頃はトイレットペーパーとか捨ててあるメモとか些細な物しか持ち帰らなかったのでポールも暗黙のうちに許していました。2階の窓から「ブラックバード」を歌ってくれたり、のちにそのうちの一人がマーサの散歩係になったりもしたそうです。
ジョンやリンゴの歌詞忘れ・歌詞間違いはいろいろありますが、バングラディシュ難民救済コンサートでのリンゴの「明日への願い」歌詞忘れモニャモニャ歌いは、映像でもレコードでもしっかり残っていて有名ですよね。
デラニー&ボニーのツアーにデイブ・メイスンの後釜としてチョイ役参加したあたりからジョージは本格的にスライドをやりだしたそうです。ビートルズの曲でもあちこちで聴けますね。ジョンやポールもやってたし。
A・クレインはまあ中ボスといったところでしょうか。ラスボスってゆーと、版権をみんな持っていってしまったATVとか、一瞬のスキを見てのちにそれをかっさらっていったマ○△ルあたりかな。
H・デイビスの本によると、夜中に曲がかかった途端絶叫して驚いて飛んできた家族に「ここのギターを聴いて!」と大騒ぎしたらしいです。まあ気持ちはわかりますね。
ジョジョのインタビューによると当時ジミー・マカロックの彼女も元プレイメイトとかだったそうで、ビキニ大会としてはかなりハードルが高かったと思いますが、さすがリンダは別格ですね。
70年代後半、ジョン一家は旧軽・中軽のカフェやパン屋さん、そのほかいろんなところで目撃されてます。来店した時の写真を今も飾ってあるお店が結構あります。ジョンとわかっても思ったほど騒がれず静かに生活できたのが気に入ってたんでしょうね。
マルは郵便局勤め&パートタイムのキャバーン用心棒から一転してロードマネージャーに。もう奥さんも子供もいたのに勇気ある転身ですね。なお、このジョンのジャンボは行方不明のまま見つからなかった模様。
これ実話なんですが、実際には3,715,000ポンドでオファーがあったそうです。ひえええ、怖いっ! でもなんでそんなに半端な数字なの? あ、ドルをポンドで換算したから?
結婚式の立会人はブライアンやスタッフ、あとジョンとなんと自転車で式場にやって来たジョージ。ポールはお土産に銀製のリンゴの置物を買ってきたそうです。