『ぼっち・ざ・ろっく!』OP曲「青春コンプレックス」とED曲「Distortion!!」、作中で結束バンドの歌詞は概ね後藤ひとり担当となっているところ、コンセプトは3巻p68のこれが守られて(?)いるのかな、もしそうだとすると……とぼんやり考えながら聴いていたりする。
チェンソーマン106話「焚火」。
吹き出しの表現、例えば『それでも町は廻っている』9巻/第71話「歩く鳥」
https://t.co/hHZY22l4to
で見かけもしたようなやつ使ってるなー。
この場合だと、ユウコの自己完結してしまい、他人の声が全く届かないありさまを示してるのかな。
ちなみに『ぼっち・ざ・ろっく!』原作漫画(添付)ではそこまでの描写はなく。
他にもいろいろと
https://t.co/GwK75ZJ45U
(こうして挙げた二箇所以外にも数多く)アニメ化にあたって色々考えて描写を加えたり時系列入れ替えたり諸々の工夫がありそうで、楽しみですね。
ぼっち・ざ・ろっく!1話
「何が言いたいかっていうと巧くて話題の人もね、私達がみてないところでたっくさん、たっくさん、ギターを弾いてきたんだろうな!って。後でみてみて!動画観てると伝わってくるから!」
との言葉、それを聴いて(伝わってたんだ……)と感動するのアニオリかな。いい追加。
花輪和一『風水ペット』(Amazonで期間限定1巻無料公開中とのこと)
https://t.co/ztaZpZ3WnE
1話読んでる時点で「助けてくれ、ここから出してくれ、ここはもう嫌だ」と心が叫びたがっているという、稀有な読書体験をくれる。
『よふかしのうた』1話/13話の自販機での出会いの反転しての再現、
https://t.co/7RFUmLXOQD
原作でも明らかに意識した画になっている絶対拾わなきゃいけない所をしっかり拾って。かつ、いい闇の色をつけていて良かった。ちなみにここのコウ君、どことなく『第三の男』っぽくもある(そうか?)。
原作ではパッコヤンが崩れ消えたその後、「こ やァ……」と僅かにその名前の断片を口に出せただけなのだけど。
アニメ版は「パッコ…ヤン…」と口にしたのが視聴者は聴こえるし、パッコヤンもきっとヴエコが彼女だと分かったんだとはっきり認めた上で消えていく。
アニメ版が贈る餞(はなむけ)。
[第105話]チェンソーマン 第二部 - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ https://t.co/7JnVh8Pqsa
アサとヨルで、このお友達がユウコなの、この夕日と影の下での会話でひとつ、大きく実を結んでる(?)感じだなー。最後には陽が殆ど落ちて概ね全身影に沈んでるね……。
チェンソーマン104話。デンジにとって「食べたとしても」というカウントするかしないか微妙な判定なマキマさん。
https://t.co/x8LY9jloLo
なお、これはあくまで『さかなのこ』のミー坊とその「好き」はそう描かれているとも捉え得る、という話であって。
世の中には色々な人間が居るので、周囲の支えや犠牲もよくよく認識しつつ、皆の思いや犠牲を背負い力にして「好き」や夢や憧れに向かい続ける、そんな人や在り方だってあると思うよ。