『クロノクルセイド』2巻。
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この中二を極め抜いたヨシュア登場場面めちゃくちゃ好き。分かたれた道を歩む姉と知らずして声を揃え、幼い日に共に歌ったポー「イスラフェル」を口ずさみながら現れる影のある美少年。
ある種の掛け替えのない魅力は突き抜けたその先にしか無い。
画報社作品3000冊55時間読み放題。
先程書いた通り
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すごいラインナップで、挙げた作品全部傑作だけど。
例えば長谷川哲也『ナポレオン 覇道進撃』未読の人は2巻で
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このあまりに魅力的な人物と場面に出会って欲しかったりも。ドゼー将軍……大好きだ。
なお、「今日の天気の話ですら 私には出来ません」をあえて強調して出さないのは原作から。
ただ、こちらでは拾い上げる只野くんの描き方もおそらく、あえて左上の一コマの無言の間と抑えた表情に多くを託していて。アニメ版の演出も原作のこの抑制も共に各々良いなと思う。
テスラノート。例えば別に原作漫画のコマみても、文字がああいうフォントでお出しされなくてはいけない理由は特にないよな……もちろんフォントだけではなく問題だらけだと思うけど……。
改めて、どうしてああなったんだよ。
『忍者と極道』の"忍巧美男衆(テクノビダンズ)"、なにかを思い出すなと思ったら。
『アリス・イン・カレイドスピア』
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の邪視者、セレナ・アストレッサさんの脳内彼氏具現化か。
そして誰かの大切になる、それを受け入れるだけの価値はないなんてことはない。
時には(まだ)受け止められないような苦さだったら逃げたりとり除いたりしてしまったりしてもいい((「カフェインなくても美味しいですし!」)し、何かが出来るからとか、とにかく「~だから」という条件付きでない、
その上で妹との「でも できないままでいいって言われるの ちょっと安心するよね」といったやりとり(「25杯目(1)」)もあったりしつつ。
(とてもすぐには)飲み下せない抱えた「苦さ」に向き合って味わえるように"ならないといけない"、そうでなければ自分は自分自身にとっても、
『珈琲をしづかに』という作品、1話からずっと「大人」になりたい、「苦さ」と向き合って味わうことができる人間になりたい……でも(まだ)なれない、という話を繰り返ししていて。
その中で、色々と
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あって。
『珈琲をしづかに』25杯目(2)のこのコマ(1枚目)。
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その前(2枚目)でも語られている「カウンター越し」に、カウンターに隔てられた上でしか人に向き合えないという話に対して、カウンターを通じて繋がっている/繋がってこれているよ、ということでもあり。
既刊(4巻)より後の公開されてる話数(25杯目(1)以降)の感想は今ちょっと考えたりまとめたりしているのでできれば今日中に少し出せれば……。
25杯目(2)のカウンターを挟みつつ隔てられていない1コマ(添付2枚目は2巻収録7話)。
過去に「ポタ ポタタ」と珈琲が注がれた時の状況と思い、
『かげきしょうじょ!!』音楽集、作曲者・斉藤恒芳インタビュー
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紅華歌劇団「ファントム」の劇中歌として3パターン収録された「愛を乞う歌」のバリエーションの話、アニメ版9話では割愛されてしまった原作9話(3巻収録)での安道先生が語る演技論の補完みたいな趣もあるなー。