『チェンソーマン』第105話。前回(右)と同様のコマ割りをしつつ、デンジとの会話がテンポの良い漫才のようなかけ合いだったのに対し、ユウコとのそれは困惑と沈黙が入り混じる停滞した時間が表象される。この停滞と合わせるように夕暮から夜への光量の減少も描かれる。
自衛の選択肢がノベルゲー的に視覚化されるけど、その矩形はオマケの迷路として反復される(「理不尽なゲームのように仕方なく選ばされた選択肢」という台詞)。しかしその前の頁ではコマ外から光が滲むような描写があり(天啓?)、最終頁ではコマ枠が消え光が直接フキダシを照らすような表現へ変わる。
アサとユウコで朝と夕、夜はおそらく戦争の悪魔、昼に相当するキャラクターが出てくるのか。それはともかく98話は戦争の悪魔を見上げるアサの眼が描かれたこのページ以降怒涛の上方向への垂直軸アクションが展開されるが、下を向いたゆったりとした動線が描かれた100話とはアクション演出でも対照的。
断頭に怯えていたが合理的推論に瑕疵がないとはいえ復活の保証も無いのに自殺すること、佐藤の侵入ルートを見誤ったが入間基地からの逃走ルートを正確に予測したことなど、『亜人』16巻における永井圭はフォージ安全編での敗北から挽回するような行動をしている。
『シン・仮面ライダー』冒頭が公開されたのでようやく言及するけど、『亜人』のIBMが人体を攻撃するのを忠実に映像化するとこんなイメージになるのかーと思いながら観てました。
5コマ目の「まぜて」が強烈な印象をもたらすが、4コマ目の巨大パンの俯瞰が5コマ目においてテレビモニターのいうフレーム内フレームでコマ内に投影され、さらに「まぜて」というセリフの吹き出しがその画面に重なることで参与を促すように響く。イメージが行動を規定していく。
見開きでは藤本タツキおなじみのモチーフである扉が中央に堂々と。ここではまだ光の中にいるユウコだが、正義の悪魔との契約を告白した場面では影の中に。第98話で悪魔と契約した委員長の来訪を連想させる扉と夜というモチーフの反復。