ナウシカは当初、墓所を「工房の技や知識の貯蔵庫」だと考えていました。単なる貯蔵庫ならば、その破壊にオーマの力は要るが、そこを守る者達とは対話・説得の余地がある…ナウシカはそう考えたからこそ、墓所由来の技術に不穏なものを感じながらも、自身は寸鉄を帯びなかったのではないでしょうか。
そう考えると、母子の別れにもまた違った味わいがあります。目的達成の過程に齟齬があり、母が喜ぶ「立派な人」になれたか不安なオーマ。そんなオーマの死を心から悼むナウシカからは、たとえ噛み合わない部分があっても互いに労りあう=ナウシカになれずとも同じ道は歩めることが伝わってきそうです。
おはようございます。無事お寝坊することなく(笑)起きられましたので、これより人生の息抜き(むしろ本懐?)に夢の奈良旅行へ行って参ります。2日が雨のようなので、本日は予定を変更して西大寺を起点に西ノ京一帯をサイクリングの予定です。
#私的万葉大和旅行
ところで今更ながら。
二重行政が問題として、図体の一本化で解決するんでしょうか?下手すると肥大した組織で内ゲバが(以下略
【12】御付きの道化(ヴ王の道化みたいな)。どんな毒を吐かれるか、それをどの程度自分が笑って受け入れられるか、自己皇帝感を試すのです。
そして、やはり「火の7日間」も上記2現象とは無関係に、正義実現のための裁定―但しその判決は巨大産業文明全体の破壊となった―として下されたものでした。が、この御破算を以てしても、人間社会がそうそう「悔い改めなかった」のは、その後の歴史/愚行の再生産を見ても明らかです。
では何のために墓所があるかと言えば、一つには浄化後の世界に生きる「穏やかで賢い、もはや人間とは言えない」人間の卵の保存です。実際、墓所はその喪失を嘆き悲しんでおり、また歌舞伎版では「俺は卵の守り手だ」と自認する場面すら出てきます。が、それはあくまで墓所自身にとっての優先順位です。
「未来の為に綺麗な世界の種子と浄化装置を準備しよう」→火の7日間前後の混乱→「このままではまた人類に世界が破壊されてしまう。何とかせねば(使命感)」と言うわけです。「青き清浄の地」を垣間見たナウシカがこれと同じ危惧を懐いたのは皮肉というか業が深いというか…。
即ち、墓所の吐き出す「死の影」こと奇跡の技は、年二回、僅か一行ずつ開示されるだけと極めて少量かつ断片的です。そして墓所曰く、全ての文字が現れたとき=浄化完了だというのですが、これには道化ならずとも「まだるっこしい!」と茶々を入れたくなりますね。
まず考えられるのは「権威付け」です。旧世界から生き続けるヒドラ「教団」が総力を傾けても解読に難儀し、しかもそれですら「悪魔の技」を再現するに十分とくれば、墓所が抱える「知の力」はいかばかりか。…まあヴ王に言わせれば「何処の坊主も同じ様な虚仮威しばかり」なのですが(笑)。
こうした墓所の影は、土鬼歴代王朝が国土を覆う絶望・混乱とともに格闘するもう一つ対象であり、結局負けていったものでもあります。こうした歴史を「虚無に喰われてしまった」と形容するクシャナ殿下はなかなかに慧眼と言えます。