仕事から帰宅&8500ふぁぼ有難うございます。殿下はおわさず、三皇子やその配下の将軍達みたいなのばかり跋扈する我が職場ですが、「いつも心にクロトワさん」の精神で頑張りたいと思います♪
さて、予告通り漫画版 #ナウシカ 蟲使い&森の人前編です。今回はナウシカ世界での蟲使い達の「立ち位置」と「自意識」について考察していきたいと思います。
蟲使いはその名のとおり、腐海の蟲(蛞蝓に似た嗅覚の鋭いもの)を用いた、腐海内外での「もの探し」や腐海の産品(王蟲の甲皮等)の交易、或いは傭兵業等で生計を立てています。
彼等は「忌まわしい」蟲を使うこと、腐海に住まうこと、屍を探り遺品を盗ること、そして(恐らく腐海暮らしでロクに風呂にも入れないことによる)酷い臭いにより、腐海外の人々からは一種の賤民として忌み嫌われています。
が、彼等は「皆から忌み嫌われる」ことを逆手に、その技能をトルメキアだろうが土鬼だろうがしがらみ無く売り捌きます。それは一種の「自由人」なのか、それとも「金になるならなんでもやる」という無節操・無軌道なのか…兎も角も彼等の「生き方」はこうした環境に規定されていきます。
一つ云えるのは、彼等には腐海外の「定住民」へのコンプレックスは強くあるという点です。何せ彼等は腐海の産品を腐海外で売り捌かない限り、酒にも旨い食べ物その他必需品ー更にはそれらの入手手段たるカネもーが手に入らないのです。
このコンプレックスが裏返る形で示されるのが土鬼大海嘯後の世界です。定住世界=土鬼が腐海に沈むや、彼等は我が物顔でそこに「定住」し、チヤルカはじめ土鬼人に対して一転して冷たい視線と言葉ー彼等が今まで受けてきたようなーをぶつけます。ここはもう我らの世界だ、と。
また別な形でもこの「コンプレックス」は示されます。それが蟲使い達の「森の人」への畏怖です。「森の人」は蟲使いと違い、外界に頼ることなく、腐海の中で自活しています。もっともその暮らし方は火を捨て、蟲の皮を纏い、蟲の卵を食するという極めつけの禁欲(?)生活で、そう容易く真似できません。
それは「外界」との交易(と注がれる蔑み)無しには生きていけない蟲使い達にとっては眩いばかりに「高貴な」生き方であり、また厳し過ぎるが故に俗世の欲にまみれた自分達には到底真似できない、正に畏れ敬うべき存在でした。
蟲使い達のコンプレックスが別な形で現れたのが、大海嘯から生還した(但し心は未だ戻らぬ)ナウシカを女神と崇めたときの「化外の民に光が届いた」「神を持たぬ苦しみの日々に終わりが来た」という歓喜です。
また蟲使い達は自分の家以外ではマスクで顔を隠し、「名無しの蟲使い」として振る舞います。だからこそ、ナウシカは「友達になる」ためにマスクを外し、手を取り合って抱擁します。…ところでクロトワさんは結局握手したんでしょうか(個人的にはナウシカからの無言の圧で渋々やったと想像(笑))。
そうして蟲使い達はナウシカの「守り人」「友達」としてシュワまで彼女に付き従います。その情に厚いところに、ミト達も感化されていく姿に胸が熱くなりますねね。