それ故ナウシカは息子に名を与えました。立派な「人」になるよう願いを込めて、そしてそれと同じくらい、「私はあなたをしっかり見ている」と伝えるために。…それが愛情なのかは恐らく本人にも分からないまま。
因みにナウシカ世界では「名を与える」「名を明かす」ことは相手への信頼・友愛を示す重い行為となります(何処か千と千尋に通じますね)。その意味で、オーマという名を与えることは、ナウシカの覚悟の現れと言えます。この子とともにシュワの墓所を封印するー恐らくは共に生きては帰れなくとも、と。
そして墓所終盤。オーマとナウシカの別れの場面ですが、墓所の崩壊も構わずナウシカはオーマの亡骸に取りすがっており、母子の情であったかはともかく、その死を「親しいもの」の死として心から悲しんでいる様子が見てとれます(てかアスベルが間に合わなかったらそのまま一緒に死にかねない勢いです)。
最後のやり取りがまた、ナウシカの心の声が聞こえそうで切ない…
「立派な人になれたかな」
「貴方は自慢の息子です(私の方こそ母であれただろうか)」
「誇り高く勇敢で優しい子です(他の誰も見ていなくても、私は貴方をちゃんと見ている)」
それは恐らく、ナウシカが母から欲しかった言葉でした。
今日もまた長々と(しかも変な時間に)連投してしまいましたが、要は「ナウシカは完全無欠でも、まして超人でもない、苦悩を抱えながら歩む魅力的なヒロイン」ということです。が、それを言葉で示そうとすると…時も吾が文章力も足りぬのぢゃ…
#ナウシカ
おはようございます。
昨日は仕事に敗北し、不毛な残業を課せられたので、今日はなんとか定時に脱出し、水着式部サマー&巴=サン育成の種火集めに励みたい所存(仮にもマスターならばこちらが本業でしょう!)
さて、漫画版 #ナウシカ 考察、今宵は「土鬼側からみたトルメキア戦役」になります。ここでは特に「何故土鬼側が腐海の軍事利用に踏み切ったか」を中心に考察を進めていきたいと思います。
こうした作戦はトルメキア側には勿論、恐らく土鬼側の多くの人々にとっても不可解なものでした。何故、土鬼指導部はこうした自爆的作戦を取ったのでしょうか?
土鬼軍は決して弱兵ではなく、白兵戦での精強さはクシャナも高く評価しています。その気になれば緒戦でも(いくら海上から奇襲されたとはいえ)もっと頑強に抵抗することはできたでしょう。まして各部族軍には故郷と家族の存亡がかかっているのですから。
まず戦争の早期終結については、土鬼兵の多くが農民であり、農繁期前にケリを付けねば兵士の動揺と農業崩壊を招くためですが、それだけではないと思われるのが、部族兵に対する皇帝・僧会側の不信です。
一方、諸部族側も圧政ばかり押し付ける僧会・直轄軍を恐れつつ、一面では「どうせ最前線には役に立たない癖に」と虚仮にする場面が見られます。書記長の葬儀中継場面でも敬礼せず白けていたという、80年代ソ連を彷彿とさせる組織の末期感が感じられますね…
こうした閉塞感は、ミラルパにとって帝国の存亡に関わる重大事でした。それ故、ミラルパとしては、この戦役に「僧会の力で」勝利し、これを内外に示すことが重要でした。諸部族の抵抗だけで敵を撃退しては、マニ族のように「もう皇帝はいらぬぞ!」と言い出す輩が現れかねないからです。