ではこの膨大なエフタル航空軍はどのように運用されたかですが、それを示唆するのが、1巻前半でのクシャナ軍との対決です。この時点ではガンシップは、装甲兵と決闘するナウシカを低空から援護する形をとっています。
実際、風の谷のガンシップの主砲は大口径ですが単発で、あまり航空戦に向いていません(特に一対多には)。また、ナウシカも訓練飛行(?)では対地戦を意識した、なかなか過激な低空アクロバット飛行を敢行しています。
実際、エフタル大海嘯の場面で出動しているのも小型のミサイル艇ですし、多分偵察とはいえこれで王蟲の「津波」をどうできたというのでしょうか(もっとも土鬼並みの浮砲台を全艦隊分投入した爆撃でも焼け石に水は変わらないでしょうが…)
#ナウシカ といえば、特に映画編では「聖人」「救世主」として、また漫画編終盤では「世界の破壊者」(?)として兎角超人じみた見方をされることが多いのですが(そういう面も確かにありますが…)、今回はそうではない面、苦悩する人物としてのナウシカに焦点を当ててみたいと思います。
ナウシカの母が更に深掘りされるのは漫画版終盤の七巻、庭園の牧人による「優しい母」の幻影を否定するナウシカの証言です。いわく、母は決して癒されない悲しみの存在を教えてくれたが自分を(牧人が見せた幻影のようには)愛さなかった、と。
この点で印象的なのはナウシカの回想で「母が知らない人のように見えた」「忘れられているのが怖くて母が気づいてくれるまで待っていた」というもので、これこそナウシカにとって拭いがたいー同時に極めて切ないー原点であったと考えられます。
母にとって娘たる自分は存在しないかもしれないー自分を見てくれないーというのは中々辛いものがあります。父ジルも将来の族長としてナウシカを厳しく育てている様子が伺われ、父娘の交流は(特に漫画版では)あまり垣間見ることが出来ません。まして谷の人々には「姫様」として振る舞わねばならない…
とすれば、ナウシカの腐海遊び・蟲達への親愛も、「次期族長」「姫姉様」ではない、等身大の少女ナウシカとして振る舞える、「友」たる蟲達と交流を結べる場所ゆえと言えるかもしれません。…その場合、幼少時の王蟲との「別れ」は更に辛いものとなりますが…
そんなナウシカは物語の終盤、覚醒した巨神兵オーマに「ママ」と呼ばれ、自ら目覚めさせた責任感もあってか彼を我が子と認め、シュワの墓所への旅に向かいます。
しかしここでナウシカは大きな欺瞞を「我が子」対し行います。本当は墓所ともども、旧世界の災禍の源たる「我が子」の死ー墓所との相討ちーを願っている。それは自分を愛さなかった/愛せなかった母よりもっと残酷な仕打ちではないか?後に牧人により、まさにこの点をナウシカは責められます。
ナウシカはオーマからも(勿論無意識にですが)苛まれます。凶暴にトルメキア兵を虐殺する彼は無邪気に言います。「ママのために戦うのスキ」「ママ怒ってない嬉しい」。それは、母を求めながら実際には怖くて出来なかった、幼い日のナウシカと重なるものでした。