サンデル教授の #実力も運のうち で強調される能力至上主義の弊害を考える上で示唆的なのがF先生の「ドラえもん のび太と鉄人兵団」に出てくる、プロトタイプロボに設定された「競争本能」で、少しでも秀でようとする佳き動機が(続く) 
   そうして、漫画版では常に「何故?」を問い続け、ナウシカなりの答えを積み上げて来たからこそ、最終盤の墓所との対決におけるナウシカからの「断罪」が重く響くわけです。それは、彼女が旅路の中で問いかけてきた疑問と、そこから得た答えの集大成な訳ですから、当に「世界を負う」対決なわけですね。 https://t.co/YqfFzr3VFj
   まあ実際には二百年近くかかるスパンの話であり、また短期的には瘴気により土中の毒は却って活性化されるようです。重要なのは瘴気はあくまで副産物・途中経過であり、それ自体が腐海の主目的では無いという点です。 
   そして「青い衣の者」と「白い翼の使徒」は、土鬼民衆の希望の象徴・導き手という点でよく似ています。強いて違いを挙げれば、「白い翼の使徒」には神の使いとしての超常的・神がかり的要素が濃く見られる点でしょう。 
   そうして蟲使い達はナウシカの「守り人」「友達」としてシュワまで彼女に付き従います。その情に厚いところに、ミト達も感化されていく姿に胸が熱くなりますねね。 
   〉RT
寧ろ「こういう時でも団結しない」世界の業をこれでもかと描いている名作がいくつも… 
   そして諸侯国の長は僧がなりますーというよりマニやサパタを見る限り、元々の族長を僧にした、という感じでしょうか。彼らを機構の末端に位置付けることで、僧会は民衆レベルまで統治と教化啓蒙(或いは圧政)を行き渡らせている訳です。 
   某議員の無差別錯乱暴言からの自爆劇を見ていると、ブラックラグーンでの「厄種」解説を思い出しますね。本当にこのまま党を巻き込んで吹っ飛びそう…にしても汚ねぇ花火ですわねぇ。 
   実際、エフタル大海嘯の場面で出動しているのも小型のミサイル艇ですし、多分偵察とはいえこれで王蟲の「津波」をどうできたというのでしょうか(もっとも土鬼並みの浮砲台を全艦隊分投入した爆撃でも焼け石に水は変わらないでしょうが…) 
   とはいえ、やはり「青い衣の者」と「白い翼の使徒」は、その信仰の方向性が似通っています。このため、前者を敵視する土鬼皇帝という「タガ」が外れるや、土鬼民衆はたちまち「ナウシカ=青い衣の者=白い翼の使徒」とする三位一体説(?)を表明しだします。 
   また蟲使い達は自分の家以外ではマスクで顔を隠し、「名無しの蟲使い」として振る舞います。だからこそ、ナウシカは「友達になる」ためにマスクを外し、手を取り合って抱擁します。…ところでクロトワさんは結局握手したんでしょうか(個人的にはナウシカからの無言の圧で渋々やったと想像(笑))。