また、シュワ突入直前、ナウシカは同行する蟲使いたちに「世界の真実」を語ります。腐海が世界を浄化した末に、いつか清浄な世界へ辿り着けるという「偽りの真実」を。
そんなナウシカは物語の終盤、覚醒した巨神兵オーマに「ママ」と呼ばれ、自ら目覚めさせた責任感もあってか彼を我が子と認め、シュワの墓所への旅に向かいます。
まず挙げられるのは牧人がナウシカの母を騙る場面です。単行本では牧人本人(?)の姿になっているコマ(左)が、連載版ではナウシカ母子が野原で談笑するー恐らくは遂に実現しなかったー姿(右)となっています。
そしてその「墓所の主」です。「未来における世界浄化」という「大義」のために、かけがえのない現在(と今を生きる生命)を再生への道程≒ドレイとする墓所の在り方は、土鬼を死の影の色濃い地とし、歴代王朝をその虚無に飲み込んできました。正にこの世界の「虚無の源」といえる存在です。
ナウシカ世界の驚異といえばやはりエンジンが挙げられます。数百年前の発掘品が簡単なメンテで使える上、砲撃で船がやられても割と無傷で再利用可能と、ほぼチートです。どういう冶金・機械電子工学のレベルなのか…
もしそうだとしたら、例え火を捨てて腐海と共存できたとしても、そのことに何の意味があるのか。実はそこに「意味」を求める時点で墓所と同じ罠に嵌まりつつあるのですが、そんな彼等に他ならぬナウシカからトドメが刺されます。即ち、腐海は世界浄化のため「だけ」に人間が作り出したものであると。
風呂に浸かると肩こり頭痛が一時的に治まるマンなので、湯船に沈んで身を解しては薬液槽のミラルパ様ごっこをしたくなる。
#ナウシカ
この事を端的に示すのが、精神世界(?)でミラルパと出会ったナウシカのミラルパ評です。いわく「この年寄りと同じように自分は虚無に食われたのだ」と。上人様を心の内で「虚無」にしてしまったナウシカが、ミラルパという別人の中で自ら「虚無」にされていたとは、何という皮肉でしょうか。
本論はこんな処ですが、ここでもう一歩踏み込んで、土着の信仰と僧会の教義の関係について考えてみたいと思います。実は、僧会も腐海・王蟲を蔑視するなど異なる点はあるものの、世界が浄化過程にあるという「希望」は共有されていたことが本文中で示唆されています。
それ故ナウシカは息子に名を与えました。立派な「人」になるよう願いを込めて、そしてそれと同じくらい、「私はあなたをしっかり見ている」と伝えるために。…それが愛情なのかは恐らく本人にも分からないまま。
実際この頃辺境諸国には土鬼の避難民が腐海を越えて流入・紛争を起こしつつあり、大海嘯がある程度収まれば土鬼難民の主力が「地続き」のトルメキアに向かうことは容易に予想できました。この状況下で留守番部隊まで「お出かけ」するのは正に自殺行為といえます。