この意味において、墓所でのナウシカが正義を自ら体現するかのような言動を取るのは危うくないか、或いはその正しさを誰が担保できるのか、という疑念はどうしても出てきてしまうのではないでしょうか。
そして「火の七日間」に続くこの絵です。絵コンテには「死の鳥がとびかう世界」とあり、直後に別絵で腐海誕生が描かれることから、この「死の鳥」は、火の七日間「後」の破局ー残された僅かな土地と資源を巡る争い、疫病、飢餓ーを象徴しているのではないか。ちょうどエフタル大海嘯の後の様に…
が、彼等は「皆から忌み嫌われる」ことを逆手に、その技能をトルメキアだろうが土鬼だろうがしがらみ無く売り捌きます。それは一種の「自由人」なのか、それとも「金になるならなんでもやる」という無節操・無軌道なのか…兎も角も彼等の「生き方」はこうした環境に規定されていきます。
7巻終盤は更に悲惨で、ヴ王のシュワ奇襲に全く組織的抵抗ができず、雁首揃えて降伏しています。シュワ周辺は大海嘯の被害もなく、時間的猶予もあったにも関わらず、防衛戦力すら集められない時点で、僧会幹部の実効権力喪失は明らかでしょう。
もう一つ、上記の点にも関わりますがナムリスをして生き飽きさせてしまった「墓所の主のいう通り」とは結局どういう意味だったのでしょうか?ナムリスの言を借りれば「墓所に行けば解る」のですが、実のところ墓所編でもこの点は明示されていません(ヒントになりそうな点は色々ありますが…)?
ナウシカの母が更に深掘りされるのは漫画版終盤の七巻、庭園の牧人による「優しい母」の幻影を否定するナウシカの証言です。いわく、母は決して癒されない悲しみの存在を教えてくれたが自分を(牧人が見せた幻影のようには)愛さなかった、と。
こうした閉塞感は、ミラルパにとって帝国の存亡に関わる重大事でした。それ故、ミラルパとしては、この戦役に「僧会の力で」勝利し、これを内外に示すことが重要でした。諸部族の抵抗だけで敵を撃退しては、マニ族のように「もう皇帝はいらぬぞ!」と言い出す輩が現れかねないからです。
また、漫画版では単なる伝説ではなく、300年前のエフタル大海嘯において「森の人」を腐海生活に導いた、実在の人物(たち)であったことが示されています。このこともあって、土鬼では「青き衣の者」とおぼしき者は潜在的謀叛者として度々弾圧されてきました。
何せ幾ら不死の怪力兵士(実際は頭が致命的急所ですが)を連れるとはいえ、たった数体のヒドラで一国を覆したのですから。息子ナムリスが語るように、歴代の圧政と狂気により、クルバルカ王朝はとうに民衆にもー恐らくは墓所にもー見限られていたのでしょう。