そう、意外にもナウシカはその旅路において、自らを正義と名乗ったことはないのです(周囲がどう見るかはまた別ですが)。宿営地での土鬼難民への説得もあくまで提案ーそれも具体政策というよりは理念のーでした。
そして「復元」の点で特筆すべきは、庭園でのナウシカへの治療でしょう。巨神兵の放つ「毒の光」で恐らく放射線被爆していた筈のナウシカですが、牧人が施した薬湯により全快したばかりか、本来ナウシカ達には耐えられない筈の清浄な空気への「耐性」まで付与されます。これは実に驚くべきことです。
だが哀しきかな、墓所の主(そしてまた牧人からも)のいう通り、事実としてヒトは飽くことなく同じ道を繰り返し、同じ過ちと救世主を迎え続けてきました。それも、正に墓所の主の掌の上で、です。
この点について、更にユパとクシャナは掘り下げます。「土鬼は古来より死の影の色濃い土地であり、神聖皇帝や土王以前の歴代王権も皆その影に敗れ、虚無に喰われてしまった」と。要は歴代王朝は皆、ミラルパのように高邁な理想を泥沼の現実に粉砕され、恐怖政治に走って自滅していったわけです。
以前考察した様に、トルメキア軍は装備が統一され、また「参謀本部」など集権的組織が存在することから、同国は史実における近世〜近代的常備軍保有国家に近い体制であると考えられます。何より、王とその政府が都に常住できる時点で、少なくとも中世的「移動王権」でないことは明らかでしょう。
子宮頸がんワクチンの接種推奨反対や某教団関係の「身辺調査」要求は、単に政府与党叩きに使えるからと、何も深く考えずやっていたと?それとも、「自分がやるのはいいが、他の奴が自分達に向けてやるのは御免被る」と?通るわけ無いでしょう、そんなの(呆)
その意味ではヴ王の逃げ帰った息子たちへの叱責は、本心からの失望(儂ならピンチをチャンスに変えるのにこのバカどもは…)と同時に、自らが出陣する大義名分を得るための「演技」と見ることが出来そうです。やっと儂の出番が来た、と。そう考えるとヴ王の宣言への廷臣達の表情もなかなか意味深ですね。
因みにナウシカ世界では「名を与える」「名を明かす」ことは相手への信頼・友愛を示す重い行為となります(何処か千と千尋に通じますね)。その意味で、オーマという名を与えることは、ナウシカの覚悟の現れと言えます。この子とともにシュワの墓所を封印するー恐らくは共に生きては帰れなくとも、と。
今週の #逃げ上手の若君 、冒頭の小笠原公のインパクトが強すぎてもう堪らない。なんですか眼球伝導(笑)て…これが本当の「目は口ほどに物を言う」?いやいやそういう意味じゃない…はず…