こう見ると思い出すのが、「三国志」の暴君董卓なんですな。董卓、魔王とも恐れられ、漢帝国を一時支配しましたが、この人、部下からの信頼はすげぇ高かったんです。
ってか、荒くれの涼州兵たちをしっかり統率した大親分だったんですよ。
例えば「へうげもの」でも登場していた、上田宗箇。
この人、細川忠興や織田長益と交流してましたが、この人が戦場で倒した津田信澄という武将は、忠興の義理の弟(妻の妹の夫)で、長益の甥っ子です。
しかし、「それはそれ」として切り分けられていました。
「責任者が責任を取る」、「腹を切る」ってのは、要は「けじめを付ける」なんです。
「これこの通り、誠心を見せたので、この問題はこれで終わりです。一族郎党たちには累を及ぼさないようにしてください」という儀式で、そういうモンなんです。
それがされないとエライことになる。
改めて思うんですがね、日本的社会における、「リーダー」ってのは、よそのお国とちょい違って、「皆を引っ張っていく」とかではなく、「責任者」なんです。
いざという時に責任を取る人、もっと言えば「腹を切る人」なんです。
先日、「魂を売るにも才能がいる」的な言葉がバズっていたが、あの話の重要なとこは、「魂を売るのも大変なことなんだ」だけでなく、「売る才能のないヤツが魂まで売っちまうと、いよいよ救いがなくなる」って意味でもあんだと思うのな。
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