最後にちょっとした小ネタ。
この「莊子」なんでかどうしてか、ある日本の漫画のキャラクターの「中華名」になっています。
そのマンガとは「ドラゴンボール」、キャラクターは・・「ブルマ」です。
香港版ではブルマ、なぜか莊子になってます。
そんな彼らからすれば、「乞われたのに断った」な莊子は、純粋に腹が立つ相手です。
さらに言えば、自分がどれだけ献策を述べても、
「まぁでも、莊子先生よりは下なんだよな」
と言われ続けるのです。
これほど目障りな存在はいません。
これも、大衆の間に莊子の名が知られていたので、
「あの莊子の教えを授けられた」が箔になり、太平道、そして黄巾党という4百年続いた漢帝国を揺るがす一大農民反乱の遠因になったのです。
「名前騙っただけ」でこれだけの影響力があったと思うと、凄まじい話です。
なので、莊子は庶民人気が高かったので、後世にも予想外の方向にに影響を与えています。
死後神格化され、「南華老仙(仙人)」と呼ばれるようになりました。
ちょっと聞き覚えのある方も居られるのでは?
そう、「三国志演義」で張角の前に現れた仙人です。
う~む、新しいPCに変えて、キーボードの感覚が変わったからか、変な力の入れ方をしたせいで右手首が痛い・・・固定するために包帯的なのを巻きたいが・・・そんなことをすれば、そんなことをすれば・・・封印が施されてしまう!!!
Q「そのためには日東のオモロイドがなければならないのですが、もう売っていません」
A「フルスクラッチでがんばれ」
「ボツ」の言葉に重みのあるキャラマトリフ・・・
(「ボツ」が口癖だった編集者、鳥嶋編集員がモデルと言われている)
#ダイの大冒険
誰かを見下すためでも、己の誇示するためでもなく、天下全てを笑顔にする「一座建立」を目指した、ある意味で、日本人の根本を追求した壮絶なる大河だと思うんだよな。
むしろこんな時代だからこそ、「笑」とは命をかけて求めるに足るものだと、訴える力があると思うのだ。
「なにかに興じ、楽しい思い、笑う」このシンプル極まりない境地。
それこそが人が生きる意味。
作中でも語られるセリフで強烈なインパクトが有るのだが、「いかなる生まれの者でも苦しみがある。なれば、それでも笑うことが、そんな運命への復讐になるのではないか」と。
「へうげもの」な、千利休に師事し、信長・秀吉・家康に仕え、日本の文化に絶大な影響を与えた、古田重然の生涯を紡いだ物語でな。
人間の「俗」「業」を極限まで描いた大傑作よ。
おじいちゃん、それでも飛ばされたのが戦中だったんで、「爆撃で死ぬよりはマシだ」と自分を慰めていたんだが、主人公たちから「数日後に終戦、日本は復興して、異世界送りにされてなければそこそこ幸せになれた可能性がある」ことを知り、心壊れちゃうってヤツ。