実際に三井Uハウスを建てた佐藤さんによる「集成材ハウスに住んで」(すまいと暮しの画報1964.10)。
プレハブを選んだ理由は3つ。短工期と「あんがいに住みよい」という評判、そして「ふつうの建築だとせねばならない茶菓の接待などの雑用が少なくてすむ」。地縁のない核家族ゆえ重要なポイント。
今日、4月10日は「よいと」からの「建具の日」だそうです。ということで蔀戸を現代住宅へ翻案した内田祥文・谷内田二郎「国民住宅懸賞設計競技当選図案」建築雑誌1941.11
『建築と社会』誌にて新興木構造についての連載記事(1941.11~)も手掛けていた日本ライト建築技師・宇賀神行一。著書『新興木造建築』(共立書房1940)には新興木構造による工場、倉庫、格納庫のほか、自ら考案した小住宅案も収録。戦後の「カナディアンシーダーハウス8(エイト)」とよく似てる。
そして梅棹忠夫や加藤秀俊らの1960年代後半ということは、家庭に目を向けた「家事整理学」ブームは、同時期に流行していた「情報社会論」や「未来学」の動きと一体になって展開していたことになる。
特集「未来学の提唱」(監修:梅棹忠夫、加藤秀俊、川添登、小松左京、林雄二郎)energy、no.13、1967
小学3年生社会科「私たちの郷土」の単元では、クラスでじっさいに自分たちが住む町の模型を制作してみるワークが。
(新教育実践研究所社会科委員会編『しゃかいかワークブック:三年用上』二葉1951)
経済学者・古瀬大六は小樽商科大から横国大に移った際に新居としてハイムM1を購入。2ユニット分を書斎として占拠したため妻は廊下で寝たのだそう。古瀬の四女は漫画家・山下和美。大六は『天才柳沢教授の生活』主人公・柳沢教授のモデルとなった。画像は『続・数寄です!(弐)』集英社、2017より。
かまぼこ兵舎ソックリの規格型住宅を大量生産する機械が登場するのは、手塚治虫『0マン』。連載は1959~60年なので、ちょうどセキスイハウスA型が登場した年にあたる。しかもこの量産住宅製造マシーンと対になってるのが土地造成マシーンのタンク。草木も建物も更地にしてしまう。