フェミニズム的な所で言えば、設定上ウマ娘自体が「ヒトより強い力を持っている」のが明言されているので、ヒトとどう共存してきたのかは作品上ファジーにされてるけど、競走馬と調教師(トレーナー)の関係だけ切り取って論じるのは片手落ちだよなあとも。
ウマの(プレイヤーから見る)史実の扱い問題
結局ドラえもんの「どんな歴史の過程を通っても、セワシは生まれてくる」というSFによくある「可能性の収斂」だとは思うけど、それはそれとして「過程が違ってて至る地点は一緒」というのを「史実と同じ」というのはいささか無理がなくないかとも思う
ラーメン再遊記
いま「ラーメンの作り手(創作)とラーメンの語り手(批評)対決編」が展開されてるけど、このページに「創作した事がない者が果たして創作を批評する事が出来るのか?」という問いの答えが詰まってるな……
語りたければ、語る事は誰にでもできるよなとは思う
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カグラバチについても、主人公のやってることは復讐だけど、初回でこういう風にバックボーンをしっかり立ててるのが目を引くわけでこれらに比べると、初回の学郎のキャラの立て方が上手くなかったのが全てのように思う
実際、学郎より膳野のキャラが立ってるって話題だったよな、初回……<鵺の陰陽師
鵺の陰陽師が力及ばなかったところ、多分こういうところなんだと思うんだよね。
魔男のイチや悪祓士のキヨシくんに比べると、主人公の性格や動機が後向きなスタートで共感を得づらかったんじゃないかなあと。