これサラリーマン金太郎の1ページなんだけど、 四半世紀経ってこういうユーモアって失われたよな。
漫画家が悪いわけじゃなくて、 こういうものをデリケートに扱う人が増えすぎた。
人間がどうやって生まれたか言ってみろってんだ
サラリーマン金太郎の一環の 1ページなんだけど、 これが連載されたのが1994年。
2019年になってもおおよそこの状況は変わってないわけだから、 四半世紀経ってもサラリーマン金太郎はちゃんと読むべきだなと思いました
この流しそうめんの話なんかが顕著かなぁ…。
おもちゃを目の前にすると、体が勝手に動く(そこから喧嘩になったり、遊び方がグズグズになったり、一度遊びを中断して話し合いが起こる)みたいな人必ずいたと思うんですよ。
ツウによる楽しみ方ではなく、ヒューマンエラーの方を抑えてくるのがいい!
最後は遊ぶ人の視点なんだけど…これは色んな言い方ができると思う。
1つには遊んだことある人のあるあるネタを抑えに行く(その中で小ネタやストーリーにつながってくるネタにつなげてくる)という側面。
もう1つは遊んでる人の言いそうなことを誰かが言うということ。
逆にぼくが知らなかったおもちゃとしてはこれです。
知らないおもちゃだけど、知ってる人がきっとやったであろう必死になりすぎてやったことまで描いているところがマンガとしてすごく面白かったし、そもそもこういう玩具があるコト自体がなんか時代を感じて面白かった。
「万代かなめはあそびたい」の魅力の2つ目は、昔遊んだおもちゃの今とか、今はなくなっちゃったけど昔あった古き良き玩具の紹介ですね。
小学生の頃ミニ四駆で少しだけ遊んだけど…ミニ四駆がこんなに歴史があって深くてなおかつ進化してるの、ぼくはこのマンガで知りました。
こういう情報貴重!
一見関係なさそうなんだけども、キャラがおもちゃの遊び方や起こる出来事とうまく連動してるから…おもしろい。
例えば、全員で人生ゲームやると安定志向で勝負を進めたい主人公に対し、ヒロインは大勝負しまくるし、まな板はまな板幸薄キャラになるんですよね…
読みやすさになってる。
実際問題、あとがきで語られることがかなり本質で…おもちゃ紹介マンガなのに、最初に決めることがここなんですよね。
この辺のやり取りで好き嫌いは別れるんでしょう。
ただ、ベタな中にも「作者が本当にやりたいこと」だからこそ、キャラがちゃんと愛されるように丁寧に描いているんや
というのもですね…あとがきでこんなこと言ってるんですよ。
残念ながらこれは実現してないんですけど(ぶっちゃけこれも読みたい)やりたいことの延長線で描いたキャラだから…すごく愛情がこもってて、巻数を読み進めるごとに、かなめがちゃんと好きになるんですよ…これ。
日常ものとしても優秀
はっきり言ってこの作品のヒロイン「万代かなめ」の設定は死ぬほどベタです。
成績優秀・容姿端麗・でも実際親しくなると性格がめちゃくちゃ子どもっぽい(若干残念)って…もう何回目ですかってぐらいの人だから…1話途中で見限る人もいると思います。
マンガ好きな人ほどひねった設定に固執するから
「万代かなめは遊びたい」の良さをざっくり語ると…
・ネタとキャラへのこだわりが強いから遊ぶものと連動してあおもちゃで遊ぶ人の風景が目に浮かぶ
・昔遊んだおもちゃの今の姿や、昔遊んだおもちゃを知ることができる(定番からマニアまで幅広く網羅)
・遊ぶ人の視点が素晴らしい
ってとこかな。