朝時から高家までの嫡流は勿論、庶流を取り扱った名越流北条の書本って何か無いのかな?🤔
越中名越は名護屋氏へ、尾張名越は那古野氏へ、薩摩名越は名古屋氏へとなっている事があるけど名越氏って本当に"なごえ"あるいは"なごし"だったんだろうか?
諸地域の後世名越氏が"なごや"氏なのは何故だ❓🙄
進捗
試行錯誤して文字のpixel数を下げた結果150ページくらいに圧縮されました。
そこから300ページまで増量に成功。
信長の時代に焦点を当てて居ますが信秀の時代の那古野今川家をスルーすると色々と判らない事があるのでは無いかと思い思案中。🤔 https://t.co/0GfsuGv0Qt
導誉最愛の人
『佐々木文書』の表現では「ミま」という女性に向けてひらがなで書き綴っているように見受けられる。
しかし、足利義満による安堵を背景に考えると「ミま」は導誉の孫六郎左衛門にも推定され、後家の「北」に託すとする文意にも捉えられる。
上手い事落とし込むもんだなぁ😳
#逃げ若
逃げ若の海野幸康が修羅道に入ってたw
このイケおじ海野幸康にはちゃんと末裔がいる。
十七代孫が真田安房守昌幸、十八代孫が真田信之・信繁(通称:幸村)兄弟である。
『真田家譜』
坂額御前が『吾妻鏡』での正しい表記。
母が藤原清衡の孫娘である為奥州藤原氏の流れを汲む亡国の姫君でもある。
御前の武勇は瞬く間に拡がり後世に六尺二寸(188㎝)の大女で怪力というイメージが定着している。
今号の亜矢子の活躍は正に巴坂額のごとし。
滋野御三家
中先代で活躍した根津氏の小次郎に並んで思い起こされるのが望月氏の庶子である姫夜叉。
望月姫夜叉は信濃国司清原氏から領地を安堵されたという逸話を元弘三年(1333)に残した。
逃げ若の亜也子がこの辺をモチーフにしてたのなら松井先生…
大したものだ…。
休み時間終了。
根津道直の末裔で狐次郎(小次郎)って言ったら中先代で活躍して観応の擾乱で足利尊氏をあと一息の所まで追い詰めた根津小次郎くんしか思いつかないんだが…
おそらく当初からモチーフにしてるんだろうなぁ(後付けじゃないなら逃げ若という作品は随分と練られてる)
いい波乗ってんねぇ!
といえば岩松経家の弟である岩松吉致の印象が強い。
ド派手な唐梅紋の海賊旗を掲げて後醍醐天皇の窮地を救ったりしているけど兄の経家と一緒に飛騨守護+地頭だったりする。
逃げ上手の若君では新田氏相手に岩松兄弟は波沖で大活躍するかも知れませんね😳
稲生の戦い
今川氏豊の家臣であった大秋十郎左衛門は織田信秀によって氏豊が敗走すると織田家中の林秀貞の与力となって生き延びた。
那古野城の林兄弟、米野城の中川弥兵衛と共に荒子城の前田利昌を謀りで事前に
調略し清洲〜熱田間の路を完全に封鎖する事で織田信長を追い詰めた。
(画:いくさの子)