これが3冊の墓籍です。「埋葬取調帳」「埋葬順并に墓地取調記帳」ともありますね。明石郡別府村、井吹村の二村のもの。墓地は合計5つか6つ。寺での管理ではなく、村での管理ですね。それは今とも変わらず。明治になって調査、記帳が必要になったのでしょうか。
去年出てきた、明治時代の墓地取調帳、今は無き地名が出てくるところがとてもよいんです。茶臼山、内ケ谷、堂浦、どこだか分かりませんが、このように失われた地名というのは沢山あるのでしょうね。うちの方も昔は「増力」という地名だったようです。
うちの天井、12カケル14で168枚程度。それなりに全て傷みがきていますね。全て交換となると費用も嵩むので傷みが激しいところから交換していくことにします。整備費は毎年色々ありますね。この交換した天井板、何かに使えないやろか。 https://t.co/8oB7xcAh1J
嬉しなので早速増上寺さんを地図でチェック。明治時代の地図ですが、浜松町は本当に浜だったんですね。