嬉しなので早速増上寺さんを地図でチェック。明治時代の地図ですが、浜松町は本当に浜だったんですね。
去年出てきた、明治時代の墓地取調帳、今は無き地名が出てくるところがとてもよいんです。茶臼山、内ケ谷、堂浦、どこだか分かりませんが、このように失われた地名というのは沢山あるのでしょうね。うちの方も昔は「増力」という地名だったようです。
うちの天井、12カケル14で168枚程度。それなりに全て傷みがきていますね。全て交換となると費用も嵩むので傷みが激しいところから交換していくことにします。整備費は毎年色々ありますね。この交換した天井板、何かに使えないやろか。 https://t.co/8oB7xcAh1J
これが3冊の墓籍です。「埋葬取調帳」「埋葬順并に墓地取調記帳」ともありますね。明石郡別府村、井吹村の二村のもの。墓地は合計5つか6つ。寺での管理ではなく、村での管理ですね。それは今とも変わらず。明治になって調査、記帳が必要になったのでしょうか。
今日は満中陰当日。位牌の開眼作法、そして中陰棚片付けをしました。昨日は逮夜法要の日、Kando和尚@ryota_dragon にお参りも頂きました。また小さな写経が届いたりもしました。奇しくも弟の誕生日でもありました。出会いと別れ、また歩み出さねばなりませんね。
今日の天台大師関係の書籍はこちら『法華文句箋難』。鎌倉時代の有厳という方が書いた、『文句』の註釈です。この本自体は明暦3年1658年と結構古めです。巻末には漢字の発音??が付録されています。これを簡単に読めるくらいなら良いのですが、、、なかなか難解です。
今朝は折角なので古い本で法華懺法をお唱えしました。よく見ると、伽陀は字体が違いますが、懺法になると字は一緒ですね。版木の元が同じなのかな??しかし博士(字の横にある線。符を示します)が結構違う。四方念仏が特に気になりました。「方」の符が違いますね。
#天台宗
少し面白い経本を発見しました。明治14年1881年のもの。中学林とあるので今の比叡山中学?高校?のものだったのでしょうか。中身は遮那止観両業の勤行式となっていて、あまり見たことのない内容になっています。「観心偈」も天台の偈文ですけど、見たことないものですね。
#天台宗