李徴の声は叢の中から朗々と響いた。作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁傪は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か欠けるところがあるのではないか、と。
スネ夫自慢のような自転車を決定的に陳腐化させたのがE.T.だったと思う。日本のガキは当時誰一人あんな物凄い自転車を見たことがなかった。しかも売ってもいなかったから、そこらへんのガキがマウンテンバイクを実際乗れたのは80年代も中盤以降ではなかったろうか。
ということは変速は後輪だけで、当時の主流の5段変速+3で凄いぞというイメージか。後年の定番だった後輪部フラッシャーがまだないことにも注目したい。シフトノブのような変速機は憧れであり。ぜひ覚えといてほしのだがこの系の自転車めっちゃ重い。
ラーメンに限らない話である。これは要するに人間の退行や懐旧の愚を巧みに見せつけた話であるから。そして人間は結局ここにしかいられないことも自覚すべきである。時代遅れな、不親切な、洗練にかけたモノばかりにこだわって、最後までそこにしかいない。それ自体に価値を打ち立てない限り。
多分こういうのもアシスタントが描くのである。ED-209の資料を渡され「こんなのに4人乗ってる絵を描いてくれ」と言われるのだ。頭抱えるぞ。元々人が乗るようなデザインではない。それを4体。乗ってる奴の顔も見せなければならないし、どうやって画面に収めるんだ。苦闘の跡がうかがえる一枚である。