「ど根性ガエル」の文化史的な意味は侮れない。意外とこれが当時の子供の風俗を最も活き活きと記録しているのではないか。「屋台のおでんが子供にとって小躍りするほどのご馳走で鍋持って買いに行く」なんて他で見たことない。おっさんが酒飲んでる映画は山程見るのに。しかしなんたるバイタリティ。
この話題でもう一つ指摘しておきたいのは、連載当時梶原一騎&読者の間で既にソースライスが「貧乏飯」のイメージであり、それ自体は間違いではないのだが、昭和初期においておそらく各家庭にまだウスターソースが常備されていない状況で、一応の「それなりメニュー」であった可能性の忘却である。
バタークリームで薔薇を作ってくれたのである。見本写真でこれだから、実物はもっと適当である。だが忘れられない。こんな細工が非日常的な祝祭感を醸し出し、憧れて、そしてちっとも美味しゅうない。ああ美味しゅうなかった。
これが歴史に刻まれたのは
「なんでや」
という日本中のチビッコ1000万人のツッコミを誘発したからである。じゃあおまえ何でそこにおんねん。