白土三平をそういう文脈で語ることは許されなかったのだけど、この人は要するに忍者アクションが素晴らしかったのだ。本当に唯一無二のスピード感とテンポがあって、誰も継承できていない。階級闘争とかそういうのは、主題のようで所詮薬味に過ぎないと思っている。宮崎駿のエコロジーとかと同様。
例えば「鯨魂」において銀行の頭取が自身の上流っぷりを演出するため「リプトンの紅茶をトワイニングに変える」というのが出てくる。揚げ足を取るのは容易である。しかし70年代日本の紅茶のありようの貴重な記録と見ることもできる。リプトンがラジオの時報スポンサーであったことも無縁ではなかろう。
ああこんな風に、何かを深く愛して、信じて、義憤に駆られていたい。おそらく彼が愛するものは無意味で無価値でしょーもないものである。それは愛が無意味で無価値でしょーもないものであるのと同じように。だからこそ尊いのだ。