気づいていただろうか? このネタ、アイディアとしては最初から破綻しているのだ。時間を空けて呼び出せばそれで済むのである。それをあえてしない。しないことに気づかせない。そこに、この話の凄みがある。どんどんボロボロになっていくドラえもんを見たいと皆思ってしまう。SFギャグの粋である。
「はだしのゲン」とか「カムイ伝」とかの、その時代における最も気高い、尊い、本来しなくてもよかった創作上の努力が、訴えが、いつか時代の変化とともに無価値となったり、別種のプロパガンダに取り込まれたりしていった過程について、オレらは記憶するだけでなく、どこかで記しておくべきと思う。
もうこんなことを描くマンガは登場せんと思う。理由は描ききれないから。描いている内に時代も価値観も変わってしまうから。陳腐化してしまうから。だけどそれを理由にこうした挑戦がきちんと評価されなくなるというのは、ただの大風呂敷と並べられてしまうのは、非常につまらんことだと思うんだ。
ドラえもんの最終回は何種類かあって、なかでも感動的なのは、ネズミが苦手なドラえもんに対し、それをはるかに上回るコモド・ドラゴンが放たれる回スよね。ウ…ウソやろ、こんなことが許されていいのか!
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たまに要望がある素材もフリー化して貼っておくので好きに使っていいよ。
昔、MSXの最末期に、なんか悲しい出来事を一杯見た。みんなの善意が悪い方向にしか転がらないという。みんなもういい大人なんだから、あれの繰り返しは避けたいなあ。