「学生運動を曖昧にした世代のモチベーション」についてオタク世代は甘く見ていたように思う。ほとんどは他人事にしか過ぎず、バブルを享受し、物質的には特に不自由なく育ったようでいて、実は自己肯定の機会を、要するに現世利益を渇望していたのだ。虐待された幼児のメンタルを思い起こさせる。
「昔の未来図は車が飛んでいる」について、実は小松崎茂は言うほど飛ばさないことについて記しておきたい。「飛ばしてください」のような依頼がなければ、むしろ空想上のリアリティとして、あえて飛躍を避けたかった部分ではないか。その点では手塚治虫の「鉄腕アトム」の印象が強いのかもしれない。
ここらへん、オレの科学に対するスタンスについて、多分往年の「ナニワ金融道」青木雄二先生が口を開けば「マルクスは~」と言っていた(らしい)のと同様のイメージを抱かれるのではと予想する。八紘一宇、脱亜入欧、皆何かに殉じようとして、しかも30年もすればどれも皆しょーもないのである。
若干の藤子Aテイストを感じさせる、これこそ本来の藤子Fの手癖によるメカではないかと思われる。これが一番味があっていいように思われるが、当時「ここだけ古いなあ」と感じたのも事実である。ことほどさようにメカは難しい。