鳥の鳴き声を注意して聞いていると、半分は何か意味があって、残り半分は反復や無意味な羅列のように聞こえるのである。実は言語の本質はここにあって「結論から言え」「論理的に話せ」「オチをつけろ」というのが無理強いなのではないか。人は本来鳥のように自由に囀りたいのではないか。
「ドラえもん」「21エモン」「モジャ公」「ざしきボーイ」…藤子Fのキャラクターづくりを見ると、彼なりの必勝法のようなものが見えてくる「突飛なもの」「古風なもの」を混ぜることによる安定感、コラージュの面白み、彼はかなり意識してキャラクターメーカーとしての自分を作っていたように思う。
よく考えたらこのおっさん、変装が特技なんだから覆面の意味はないのではあるまいか、というか、基本見られたらマズい商売なんだからシルクハットかぶって出かける意味はもっとないのではあるまいか。そこらへんが怪人たるゆえんなのかもしれない。
篠原とおるとか永松健夫のペンの巧みさって顧みられないのよな。かたや劇画技法の中に、かたや黄金バットのインパクトの中にそれぞれ埋もれている。