津田三蔵が引き起こした事件は、日本政府のみならず日本全土を震撼させた。事件を知った明治天皇は、すぐさま翌12日には京都へ行幸、ニコライを見舞った。ロシアからの報復を恐れる国民は、事の成り行きを固唾をのんで見守った。
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ロシアの脅威に怯える閣僚は、津田三蔵に刑法第116条の大逆罪を適用して、死刑を求めた。だが、司法側のトップであった大審院長の児島惟謙は、刑法第116条は外国の皇太子には適用できず、謀殺未遂罪で無期徒刑にあたると主張。そのため、児島は政府と対立した。#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
刑法第116条(大逆罪)は、天皇・三后・皇太子に対し危害を加える、または加えようとした者は死刑とするというものであった。しかし、外国の皇太子に適用させるかどうか、どのようにして死刑にするか、津田三蔵の処罰をめぐって政府内の議論は紛糾した。
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津田三蔵の処罰について、政府と司法との間で激しい攻防がなされた。ついに5月27日、大津地裁で行われた裁判で、三蔵には謀殺未遂罪で無期徒刑の判決が下された。後年、この判決で、司法権の独立が維持され、三権分立の意識を広めたといわれている。
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津田三蔵の処罰が死刑ではなく、無期徒刑と決定されても、日本が恐れていたロシアからの報復はなかった。ニコライを助けた人力車夫の北ヶ市市太郎と向畑治三郎は、日露両国から勲章の授与と終身年金を支給されることになり、二人はロシアの軍艦にも招かれた。#おうちで大津れきはく #漫画大津事件
無期徒刑を言い渡された津田三蔵は、事件の代償として、巡査職と、唯一の誇りであった勲章も剥奪された。そして、釧路集治監へと移された三蔵は、事件の動機がはっきりと明らかにならないまま、事件から4か月後、肺炎により36年という短い生涯の幕を閉じた。
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負傷したニコライの手当をした呉服・太物商の永井家は、ロシア人より「聖地」と呼ばれ、多くのロシア人が訪れる場所となった。津田三蔵がニコライを斬ったサーベルと血染めのハンカチは現在、滋賀県により保管され、大津事件の生々しい様子を後世に伝えている。
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