柔らかな色味が持ち味の関谷ひさしには珍しくビビッドな「モーレツ!コーチ」(『中二時代』1969年/推定)。
別冊付録のポケット文庫に掲載されたようなので、小さい判型でも強い印象を残すための工夫なのかも知れませんね。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
関谷ひさし「野郎代表 少年NO.1」。1960年代末ごろ『少年ブック』に掲載と推定。要現物確認。
71年刊の虫コミックス『リリーフサッちゃん』に収録。三段目左コマの写植「虫プロ提供」は「集英社提供」からの張り替えである。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 「すてきなサムライ」(『小学四年生』1964-65年→『小学五年生』65-66年、『少年ジャンプ』68年)から派生した読み切り「サムライでござる」(『希望の友』66年/推定)。マンガショップ刊の「完全版」にも未収録のレア作品であります。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 「まりちゃんとぷち」(『小学一年生』)、「私のプチ」(『小学四年生』)、いずれも1961-62年。
「ジャジャ馬くん」他を続けつつの学年誌複数連載。超人的な健筆と、共通するモチーフを学年に合わせて描き分ける細やかな仕事に驚嘆!
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展 第7章「描線の生命力ーー『侍っ子』」
70歳代の関谷のペンは、いまだ瑞々しさに溢れていました。コツコツと描き進めていた遺作「侍っ子」と、未発表作「ともだちケン」、そして最晩年78歳、おそらく最後のサイン色紙を特別展示。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展 第6章は、1970〜90年代の原画で構成。
少年月刊誌の黄金時代以降、一線から退いたとされがちな関谷ですが、描画力はむしろ研ぎ澄まされ、洒脱な大人マンガも手がけるなど、量こそ少ないものの、幅広く活躍を続けていたのです。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展第5章「止まらない活躍ーー『ジャジャ馬くん』から『ストップ!にいちゃん』へ」
この章では1950年代末〜60年代中後期の代表作を原画でご紹介。「ジャジャ馬くん」のヒットから月刊少年誌を総なめにしていく快進撃をご覧あれ!
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展 第4章「月刊誌時代のスポーツマンガ」。
従来の丸っこいユーモアマンガと、シャープな関谷作品を比較。関谷が後代に与えた影響を可視化したかったのですが、力及ばず。読める単行本を置く手法も今は難しく...。宿題とさせて下さい。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展 第3章「東京進出ーー学研の学年誌」
新聞漫画で実績を積み、1954年には学習研究社系列の秀文社から『少年太閤記』で単行本デビュー。学年誌や少女漫画誌からも声がかかるようになり、57年には妻子を連れて東京進出を果たします。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
#関谷ひさし 展、第2章は「北九州時代ーー『まんが新九州』からの出発」
新九州新聞社発行の『まんが新九州』投稿欄で頭角を表し、同社へ就職した関谷の、1950年代の作品群を展示。洒脱な描線と動きのある表現は、この頃すでに芽吹いていました。
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcn43x
#関谷ひさし 展、8/19水からの後期展示の前に、前期のみの作品をお届け。「愛犬ボロー」(『デラックス少年サンデー』1970年1月号)。コマごとに変わる背景の色彩が、コロコロと動く少年の豊かな表情のようで、実に細やかで愛らしい。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5
関谷ひさし展の展示作品から、書誌未詳の「珍遊記」。体裁から新聞の類であろうし、絵柄は1950年代かしら...手がかり無し。なお第1話は戦国時代劇の趣向だが、回が進むと(いきさつは不明ながら)ちゃんと「西遊記」になる模様。
#関谷ひさし
#北九州市漫画ミュージアム
https://t.co/mooOJcEEV5