幅広いジャンルの作品をコンスタントに発表し続けた横山の元に、雑誌「少年」の編集部から、「少年」でも何か長編作品を描いてみないかという声がかかる。
#横山光輝の青春
【昭和31年8月】
2本の連載漫画を抱える売れっ子作家となった横山は、ここに至りついに上京する決心を固める。
友人の煎塚はこの時も横山の母親から「神戸に残るよう説得して欲しい」と頼まれたが、さすがにそれは無理な相談だと分かっていた。
#横山光輝の青春
長い間にわたって横山の手伝いをしてきた嶋田が、「世話になった礼に」と横山の未発表作品の原稿「三つ子の鉱夫(116ページ)」と「みどりさん(7ページ)」をもらったのはこの時だった。
#横山光輝の青春
昭和31年8月、私は生まれ育った神戸を離れていく汽車の中で、知らない世界へと飛び込んでいく時の冒険心と希望とで胸がいっぱいになるのを感じていた。(了)
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