幅広いジャンルの作品をコンスタントに発表し続けた横山の元に、雑誌「少年」の編集部から、「少年」でも何か長編作品を描いてみないかという声がかかる。
#横山光輝の青春
昭和31年8月、私は生まれ育った神戸を離れていく汽車の中で、知らない世界へと飛び込んでいく時の冒険心と希望とで胸がいっぱいになるのを感じていた。(了)
#横山光輝の青春
また、学校新聞への4コマ漫画の掲載はもちろん、各種パンフレット、印刷物へのカット依頼にも快く応じ、校内には「漫画の横山」という名が広まっていった。
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広報の仕事ではなくお金の計算をする仕事ばかりで、いつも帰りが遅かったため。おまけに上司とソリが合わず、会社をさぼって友だちと須磨の公園でスケッチをしたりしていたそうです。そうして4、5日無断欠勤をしていると銀行から家に連絡が入り、ようやく母も気が付きました。
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4ページの短編だったが、横山にとって自らの漫画が出版社に採用されるのは初めてのことであり、かなり興奮していた。
そして、これを契機に横山の制作ペースは加速し、手伝いの方も一段と忙しくなっていった。
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昭和27年、高校3年生の時に、美少女型ロボットが出てくるSF探偵物を描いていますが、これなんかは「メトロポリス」の影響をすごく感じますね。名前もミッチィとミチルで似ているし。(^^)
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【昭和28年6月】
銀行を辞めた横山は、毎日のように近くの貸本屋から大量の本を借りて来ては読みふけり、夜は漫画をせっせと描き続けた。この頃、雑誌に掲載された作品には「ある夜の出来事」や「タロ吉迷探偵」、「斑の笛吹き」などがある。
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【昭和29年8月】
この堺での住み込み工員生活は1年で終わる。この年に大きな台風が近畿地方を直撃し、工場の屋根が吹き飛ばされ、横山と嶋田の生活小屋も壊れ、横山が持ち込んだ用紙や執筆道具も滅茶苦茶になってしまったからだった。
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部屋の机の前に座って1ページずつ本をめくるそばから横山が「主人公のミッチィは太陽の大黒点の影響で生まれた世界一美しい人造人間なんや」「自分の体のボタンを押すだけで男にも女にもなる」「この鼻の大きい男はミッチィを狙う秘密組織の親分や」と先々説明するので、
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【昭和26年】(友人・嶋田、煎塚さんの話)
高校2年生になると、自分たちは横山のために水泳の練習を早めに切り上げて、横山宅へ集まるようになった。
それらの努力の甲斐があってか、以後は「探偵王」などに漫画が掲載されるようになった。
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