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    西洋奇術の旭マンマロ、中村一徳の登場する滑稽本を見つけた。関由蔵『地口絵本』1886年。「地口」というのは言葉遊び(洒落)。
歌舞伎や浄瑠璃関係から取り上げられる中、奇術師ではこの二人だけ掲載。松旭斎天一や帰天斎正一が台頭する直前のこと。https://t.co/NbHJ25f4KA
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    松旭斎天勝が1939年に一度限りの舞台復帰したとき、相弟子の松旭斎天洋が新聞に寄せた文章を見つけた。
天洋は水芸を松旭斎のお家芸と自負しており、「他の奇術屋さん」がやる「たゞ水が出たり消えたりする」のは芸術でなく「まねこと」だと断じているのが興味深い。
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    「千里眼事件」で知られる心理学者の福来友吉(1869-1952)が、奇術師の地天斎貞一(角界上がりで得意技はメリケンハット)との交流を明かしている。
心理学者だと野上俊夫もミスディレクションについて自著で触れていて、このあたりのネタ元や人脈も調査テーマとするところ。
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   1933年の朝鮮新聞、藤村梧朗と明石須磨子。
奇術プログラムにオペラやジャズが入るのは当時珍しいものではないものの、松竹派天勝には歌劇団出身者が何名かいたようなのでそのつながりか。
#手品史 #magichistory 
   1903年、アメリカ・オレゴン州に現れたJapanese Juggling and Acrobat のテツワリ一座。広告でも筆頭に上がる実力者のようです。
幕末にいち早く海外興行に出かけた鉄割一座の系統でしょうか?(三枚目画像は江戸期)
#手品史 #magichistory #サーカス史 #circushistory 
   1920年5月の京城日報から「女奇術師 松旭斎天露の告白」。
松旭斎天露、記事中の天直については調べても出てこない。
「人としての苦しみと藝人としての誇りと變態なその性格と!」と穏やかでないですが、一座を率いて上海に行ったようです。
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    二代目の松旭斎天一(天二)は1921年に流行性感冒(スペイン風邪)で急逝するが、一座はすぐに解散するのではなく妻・天栄が継いで各地を巡った。
「天一家元松旭斎宗家」を掲げるあたり、天勝を強烈に意識していたことが窺える。記事は1922年だが30年代には解散している。
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    1932年の『朝日年鑑』に、吉本興業系の寄席でも活躍した奇術師「木村マリニー」の名前を見つけた。映画監督の木村荘十二の実兄。
この頃はセミリタイヤして写真館を経営していたようで、写真の腕前は「大阪有名芸術写真館」に挙げられるほどらしい。
https://t.co/Biud8ihg9G
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   1938年、クラブ美身クリームを50銭以上購入すると招待券が配られた演芸大会。
奇術は「笑ったら最後 笑ひのおさまらぬ松旭斎天右一座」。意外にコメディマジックだったんですね。 
共演は漫才のアサヒ日の出、ミス若葉ら。こちらは二人の漫才音源。
https://t.co/FKkBoCYpYc
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