【子どもの主体性を尊重するために僕が気をつけたいこと】1/2
「主体性」という言葉がわかりにくい時に、こんなふうに考えてみるとイメージしやすいかなというお話しです。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
【なんでもかんでも許すことはできない時に、僕が気をつけたいこと】
のびのびと過ごしては欲しいけれど、なんでも許したり言うことを聞いたりは出来ないこともあるから、きちんと伝えておくこと。
萎縮したり、否定されたと思わせないように。
【子どもが言うことを聞かない時に、僕が気をつけたいこと】1/2
やることをやらない、言うことを聞かないと悩む時に。
「子どもの主体性を育むために、ぼくが気をつけたいこと」
主体性ってなに?自主性とどう違うの?って長いこと悩みながら見つけた例えが、その子の上に矢印をおくということでした。子どもを見るときに、自分の関わりを振り返るときに、いつもイメージしています。
紙クルクルは認知能力で、寿司を諦めない力や工夫して解決する力が非認知能力と言われていて、この非認知能力は幼少期からひとりの人として大切にされながら育まれていきます。と、むりやり保育の話に繋げてみる
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
【手を出してしまう子との関わりで、ぼくが気をつけたいこと】
「させない」ことよりも根本的な問題の解決に向けて。
出来るようにすることに拘りすぎずに支援できるように。日常ではできない時もあるけれど、立ち止まって振り返ることができれば子どもも支援者も少し楽になると思って書きました。
【「寒いのに上着を嫌がる子」を説得する時に、僕が気をつけたいこと】
日常の些細なやりとりのなかで、子どもをひとりの人として尊重することと、その子のためを思って僕がすることの間で葛藤があって、その葛藤こそが子どもの権利を守るということなのかもしれないなというお話です。(久々の新作)