その子の主体性を考える時には、「その子の上に矢印があるかな?」と考えてみる。
理論的なことを感覚的な理解に。抽象的な理念を具体的な実践に。
「見守る」って、ただ見ておくというものではなく、色んな視点からその子のいまの姿や育ちを支えるもの。
かなりざっくりだけど、こうやって見てみるだけでも関わり方は多様になってくる。見守るか見守らないかというよりは、見守ることから始まるイメージ。
「学校に行きたくない…」と子どもが言ったときの選択肢が一つでも増えるといいなという思いで描きました。当日予約できるオンライン学習支援の“ユルタ”(@YultaHomeSchl)の紹介漫画です。
「利用に繋がらなくても、選択肢となるだけでしんどい思いが軽くなれば」という言葉が印象的でした。#PR
子どもが駄々をこねることについて、その子のせいではなく自分の向き合い方を振り返ることになった話。
子どもが「怒られる!」と身構えないように、僕が気をつけたいこと。
指摘してくる存在としてではなく、気づかせてくれる存在として、日頃から土台づくりをしておく。
先日研修をさせていただいた現場の方から、「新人の支援員がふとした時に、これって矢印が子どもじゃなくて大人に向いてるんじゃ、と話していた」と教えてくださった。
子どもの権利って言ったら小難しいけれど、その子がひとりの人であることを日常で意識できるヒントになっているようで嬉しかった。
子どもに指摘をすることが多くなっているときこそ、僕が気をつけたいこと。
言わなきゃいけないことは言わなきゃいけないからこそ、僕の指摘がその子にとって、「悪いことばかり言ってくる」なのか「いい姿と同じように自分の姿を教えてくれているだけ」になるのか。普段の関わりから気をつけたい。
【「寒いのに上着を嫌がる子」を説得する時に、僕が気をつけたいこと】
日常の些細なやりとりのなかで、子どもをひとりの人として尊重することと、その子のためを思ってやらせたい僕との間で葛藤があって、その葛藤こそが子どもの権利を守るということなのかもしれないなというお話です。