1970年、日本は復興を遂げ経済成長を続ける一方、世界はベトナム戦争の最中でした。桂木が見ていた写真集はおそらく「ベトナム戦争:写真と記録 歴史の告発」(1966年河出書房新社)。横山先生も同写真集を手に取り、漫画を通して戦後生まれの読者へ戦争の理不尽さを伝えようと考えたのかもしれません。
【さいごの山嵐】
桂木「この戦いでどれほど有能な若者たちが死んでいったことか、だからわたしはどちらにどんないいぶんがあるにしても戦争はいやなんだ」
ちなみに香椎宮は豪勇為朝こと源為朝の所縁の地⛩️
現代でも流鏑馬神事とかはやってるみたい🐴 https://t.co/aHI5ts75JW
忍たま山田伝蔵先生のキービジュアルと映画に関して思ったことまとめてみた、
山田先生の鉛玉「弾き玉」にワクワクした件💮 https://t.co/4ms2GztXxF
山田先生の弾き玉、利に叶ってるし、渋カッコいいし、大正解だと思うんだけど、見辛さは否めない、
私も霞のつぶて知らなかったら何か分からんかったし、手裏剣とかもっと見映えする武器でもいいじゃん?って、
考えすぎかもだけど、緊迫感とか殺意とかかな、PG12じゃなかったら使って無いのかもね、
調べたら鉛玉を指で弾くワザは漫画にも出てたんだね、
「弾き玉」説明読むかぎり、やっぱり霞のつぶてとか、八丁つぶてとかと同じ、指弾で玉を飛ばすワザのシリーズ、
でも、漫画で使うのは大木先生、なんで山田先生のキービジュでチョイスされたんだろ?カッコいいけど、メジャーでは無いよね…
キービジュで鉛玉ぽいの持ってたけど、山田先生も火縄銃の達人だし、当初は設定踏まえたイラストかなって、
劇中、ピッて飛ばしてめり込んでたのも原作に出てきた内矢かもって、
でも、もし鉛玉が霞のつぶてだったら、銃を持たずに鉛玉だけ構えるキービジュがしっくりくる!めり込むのも納得できる!