南海先生もその辺は感じていたので余計に距離を置こうとした(うちの先生は肥前くんの為にも刀工由来の在り方を貫こうと決めた個体なので)のですが、最後だけは元の主の刀として自分の気持ちを伝えた、という流れになっています。分かりづらくてすみません💦
シリアス多めのお話で、3コマ目は界隈で「切腹ベルト」と呼ばれているあれを強調(元主の影響のほのめかし)したつもりだったのですが、腹部のアップや表情、雰囲気から「先生妊娠したのかと思った」と友人に言われた時は思いきりずっこけました。な、なんでやねん…
「しょせん人間の真似事だ」という台詞、4年後の高知旅https://t.co/5WHN9iFm3Gでも出てきます。その後様々な経験を経て、先生の人間への理解がどう変化したのか比較して頂けたら嬉しいです☺️
気づいて下さった方ありがとうございます、陸奥の酒は「船中八策」でした(以前美味しかったのでまた飲みたいなぁ)。また見切れてるギネにも反応下さった方がいて光栄でした。御手杵の醸し出す空気が個人的に好きなので…
陸奥守の桂浜編や文久土佐藩マップ検証など、旅の要所を含む2日目🌊内容濃いめなのでお時間ある時にゆっくりご覧頂ければ幸いです☺️
モノにはモノの考え方があって、それは時に人の価値観や倫理観と一致しないかもしれない。けれど「ただそれだけの事」。それを良し悪し言うのはあくまで人の主観だと思うのです
この場面を正確に説明すると、これは作品前半で篭手切江に伝授されたスキップ、覚えたてのスキップ技術を駆使して花弁を撒き散らしながら肥前くんの元へ跳ねていく179cmの南海太郎朝尊です
この話に出てくる「ちび」は刀工朝尊に直された刀でも何でもなくて、南海先生を慕う道理はないはずなんです。それなのに「そばにいたい」「見離されたくない」と必死になるのは、ちびの言う「せんせい」がおそらく「なんかいせんせい」より「たけちせんせい」の意味合いが強いからなのだろうと→