松田浩二さんが上村建也さんに「もうスミマセンとしか」と言っておられるけれど、これは振り返れば上村さんの言われる通り特性ある好移植でした。👍
ヘルファイアーSの“S”はスケベのS!分かったな?🤨
マイコンBASICマガジン1991年5月号 アベニュータイムズより(4月号は発売日が決まっていなかった)
岸大武郎先生の『あいつ』は内容の良さは勿論だけど、カラーページが冒頭にではなく、見せゴマ・魅せページならぬ、マンガ全体の終盤に登場する、やがてダムに沈む湿原と泉にフォーカスされている演出に当時感銘を受けた。昨年発売された短編集にもカラーで収録されているようなので楽しみです。🏞️
AIに描かせる人類の進化。最後が大変示唆的なんだけど、最初に思ったのが松本零士「大純情くん」。張られた伏線とレトリックがややも乱暴なんだけど面白い。人工物が全て消えていく現象、それは地球の機械化だった。もし、人間の意識が完全にデータ化できるのであれば、そういう進化の形もアリかな。🌏 https://t.co/4nzQKw4voM
ようやく終わりが見えてきた「アーケード未発売・未稼働ゲーム大全2」であります。しかし、終わりが見えてきただけで、全く終わっていません。💦
という訳で好例のサタマガでかふ壱さんが連載していた「ヤツは2じごろメシを喰う」1995年12月8日号。ゴールは見えてからが長い! 奥が深いっス。🕺💥🏍️💨
私の商業本の方はゴールが見えてきて幾星霜、そんな時にいつも思い出すのは、かふ壱さんのはんさんを描いた4コマです。(サタマガ95年12月8日号)
台風来ててヒエッとか、鬼滅の新作はどんどんやって経済を回してほしいとか、色々思うのですが、まずは全ページ埋めたい!としか脳が考えられません。💦
旧チャナに於て冨士宏先生から“その後”が語られたのは、前述の書籍と隔月刊『NG1993年4月号No.52』(NG最終号)。この号はダイジェスト(絵付き)で断片的に“その後”が描かれ、最新話のシーンもあります。新チャナの方が可愛く、現代っぽくなっていますかね。気になる方は両誌チェックを!👍
プリクラのアドバタイズや進行を仕切っていたのが、“プリクラ君”こと『女神転生』シリーズに登場する“ジャックフロスト”。アトラス故にマスコットキャラクターの投入だったが、今の“プリクラ”の語源さえ知らぬ若い子には最早関係のない話である。ゲーム批評1997年9月号「カズマデラックス」vol.5より。
JAMMAの健全娯楽推進委員会で『新入社員とおるくん』と名称を改めたと発表した本作は、当時のショーの業界誌詳報でも『マイキー』と共に“とおる”の名も同時に掲載された。ゲームマシン紙の新製品インフォでは経緯は書かれなかったが、アミューズメン産業(1984.11)などでは経緯もある程度詳報された。
水木しげるは同書で白土三平のことをプラットホームで寝ている浮浪者として描きましたが、勿論これは水木流の諧謔だし、実際はつげ義春も居ました。つげ義春はエッセイ『苦節十年記』の中で「なんでも話をオーバーにする」と評しています。一方で水木の生き方が自身の救いになったとも結ばれています。
水木しげるは『コミック昭和史』で矢口高雄が水木プロを尋ねた日のことを、秋田から決死の覚悟で上京してきた元銀行員の漫画家志望者と描いているけれど、矢口先生は自伝漫画『9で割れ!!』の中で、水木先生の全くの記憶違いと実際を描かれています。水木先生は何でもオーバーに描いてしまうのですね。 https://t.co/jvzJ6e9flh
ゲームの世界に入って戦う開祖は『ゲームセンターあらし』で、その血脈はコロコロ&ボンボンに枚挙に暇がないけれど、ファミコン通信1994年1月7/14日号から連載を断続的に開始した『ゲームセンターいがらし』は最高だった。ツボを抑えた構成とギャグ。オイラは多感な中学生であったから大ウケでした。🤣