ギャラクシアン創世記のインタビューパートは全16章(約260ページ)で構成され、澤野さんとナムコの節目毎に区切りました。各章扉には1950年~現在迄のナムコ史とアミューズメントの流れを年表として詳細に掲載し、澤野さんの人生を縦軸に、歴史を横軸にして壮大な遊びの大河を描き出します。
【Mr.ドットマン】マッピーランドは初代の佐藤英治氏から横山茂氏に企画のバトンが移された作品。小野さんはほぼ全グラフィックのドット絵を描き、ソフト部分はトーセが担当した。高難度という以外は楽しめる内容だが、小野さんとしては恋人や子供の存在に違和感を感じつつ作業に充たっていたという。
JAMMAの健全娯楽推進委員会で『新入社員とおるくん』と名称を改めたと発表した本作は、当時のショーの業界誌詳報でも『マイキー』と共に“とおる”の名も同時に掲載された。ゲームマシン紙の新製品インフォでは経緯は書かれなかったが、アミューズメン産業(1984.11)などでは経緯もある程度詳報された。
松田浩二さんが上村建也さんに「もうスミマセンとしか」と言っておられるけれど、これは振り返れば上村さんの言われる通り特性ある好移植でした。👍
ヘルファイアーSの“S”はスケベのS!分かったな?🤨
マイコンBASICマガジン1991年5月号 アベニュータイムズより(4月号は発売日が決まっていなかった)
会場はアニメファンよりゲームファンの熱気が溢れログイン1983年11月号に詳報された。マニア間で話題になっていた、犬・ファントムについて書かれている。タランチュラ・小型アンドアジェネシス・敵の惑星ゼビウス。この少年とは田尻さんだが、どうもこれは必ずしも質疑を活写したものではないらしい。
ゲームの世界に入って戦う開祖は『ゲームセンターあらし』で、その血脈はコロコロ&ボンボンに枚挙に暇がないけれど、ファミコン通信1994年1月7/14日号から連載を断続的に開始した『ゲームセンターいがらし』は最高だった。ツボを抑えた構成とギャグ。オイラは多感な中学生であったから大ウケでした。🤣
世界は小さいけどゲームの歴史もこれと同じが当てはまる。今、新規のお店が出来たり、ファンがクローズアップされたり、新しい風が吹いている。多様な素地が多角の視座を生み出す。自分の役割は証言の記録で、フラットな気持ちで行い、人々の間で少しでも歴史が豊かに語り継がれる様お手伝いがしたい。
オタクという人種に対する差別こそが本音という話題。矢口高雄「9で割れ!!」ガロでの初入選を自身が勤める銀行の朝礼でPRする場面を思い出した。曰くバリバリの支店長氏によると「ここは趣味の集いではない」しかしその言葉の裏に漫画を蔑む毒を感じ取ったというもの。昔からオタク差別は厳然とある。
先日の健康診断で運動不足を指摘された私は買った。ついに買ってしまった。楽天最安値フィットネスバイク!(約3000円)
水木御大もこう言っておられた。🤔
デスクワーク時間が尋常じゃないから、丸々運動になればいいじゃない! じゃない?
よ~し明日は #SASUKE2022 見ながら5時間漕ぐぜ~!(アホ)